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4コマまとめてみました:その3 [4コマまとめ]

最新の記事でも極力4コマは描いていきますので、そちらも見てみてくださいね~。決して、古い4コマをさらすのが恥ずかしい、というわけではないんですが!いや、恥ずかしいな!

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まだまだ模索中ですよ・・・

もしこのブログ、ってか4コマに興味持ってもらえたら、ぜひ4コマのキャラのプロフィール見てみてください!
http://yurinti.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305355943-1
あの、彼らを好きになってもらえるととてもうれしいです。

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松本人志の言う笑えるかどうかは、批判している人が思う笑えるかどうかと違うと思う [ニュース読んでみて]

8月29日のJ-castニュース、「笑えれば『いじめ』も『イジり』河川敷事件めぐる松本人志『持論』に異論噴出」という記事です。

無理に内容まとめるとこんな感じ。

・芸人として、他人をイジることについてポリシーはあるか、という質問に対し、松本さんは「笑えるかどうか」と回答
・笑えるかどうかが基準だといじめる側の言い訳に過ぎない、と批判が殺到
・松本さんは相方の浜田さんが「いじめっこ」のようなポジションにいるが、流れの中でいじめられる側にも回ることで、バランスを取っていることも説明
・これに関しても、テレビでいじめをしていると自分で認めた、という批判がおこった


ふーん。


俺の感想としては、なんというか、第三者の視点、みたいなことがすっぽりと抜け落ちているんだなぁ、ってことで。それは、いじめている連中もそうだし、今回松本さんを批判し、イジられている方がいじめと感じたらそれはいじめ、ということを言っている方も、両方、なんですけど。

松本さんはお笑い芸人なので、例えばテレビのなかで芸人同士でしゃべっているときなんかは、常に第三者の目を意識しているんだと思うんですね。つまり、芸人同士でしゃべっているのが、当事者同士だけが笑えるんじゃダメで、視聴者という第三者の目から見て笑えなきゃぁダメだ、という意識がある。ま、プロの芸人として当然っちゃ当然の話です。

今回松本さんが笑えるか笑えないかが分かれ目、と言ったのは、この第三者の目から見て、ということだと思うんです。

それに対して、いじめていた連中というのは、自分たちが楽しければいい、ということしか考えていない。いじめられている側がこういうことをされてどう思うか、ということも考えていないし、自分たちがこういうことをしていることを、端から見たらどういうふうに見えるんだろう、ということも考えていない、と思うんですね。

さらに、イジっている方がイジりだと思っていても、やられている方がいじめと感じたらいじめ、と批判している連中に関しては、いじめられている当事者のことしか考えておらず、そのいじめと感じている状況を端から見たらどう思うか、ということに関して全く考えていない、と、思うわけです。

もちろん今回の少年が亡くなったケースを、いじめじゃないなんて言うつもりはありませんよ。今回のケースは100%いじめだし、いじめなんて言い方生ぬるい、暴行殺人だろ、こんなもん、と思います。

ただ、松本さんの発言に対し、こーゆー批判が巻き起こること自体、いろんな人から第三者的な視点が抜け、本人がどう感じるか、とか、当事者同士がどう感じてるか、とかが判断基準の全てになっている人が多いんだなぁ、と思うわけです。


例えばテレビの中のイジりで言えば、第三者の視聴者の目があるから、ある一定以上はエスカレートしないわけです。もちろん個々のイジりについて人それぞれ感じ方はあるでしょうが、一人の人間をよってたかって血を吐くまでボコボコに殴る、なんてことはない。
まー、テレビを例に出すとややこしい部分がありますけどね、視聴者に求められてエスカレートしていく場合もありますから。まぁ、そういう特殊な例は一旦置いときます。

イジりをいじめでなくお笑いとして成立させるために必要なのが、第三者から見て、笑えるか、笑えないか、という基準だと思うんですね。
で、お笑いの場合は笑えるか笑えないかですが、一般人の場合にはまた別の基準があると思っていて。

例えば、善か悪か、とか、
好きか嫌いか、とか、
気持ちいいか気持ち悪いか、とか、
かっこいいかかっこわるいか、とか、
かわいいかかわいくないか、とか、
なんでもいいんですけど、とにかくいろいろな基準があると思ってるんです。

これって要するに、松本さんが言っているのは、大きく言えば倫理観とか、モラルの話なのではないかと思うんですよ。

松本さんはお笑い芸人なので、第三者的な視点を考える場合、多くの場合笑えるか笑えないか、という判断基準を使うので、イジりかいじめか、という判断基準として笑えるか笑えないか、ということを言ったんだと思うんです。


で。


ここでポイントとなるのは、その笑えるか笑えないか、というのは松本さん個人の趣味・趣向とは関係がない、ということです。今回のいじめっ子とか、松本さんの言葉を批判している連中は、この辺の考えが足りないのではないかな、と思うんですけど。

例えばですが、松本さんがバラエティ番組の罰ゲームで、尻をひっぱたかれるとしましょう。松本さん自身が、普段からムチでバチバチ叩かれるのが大好きなタイプの人なら話は別ですが、まぁ大抵の場合尻をひっぱたかれるのなんか嫌でしょう。

でも、ここで尻をひっぱたかれると笑える!と思ったら、きっと松本さんは迷いなくひっぱたかれるし、そして面白いリアクションをするんだと思うんですね。

これが、松本さんが、自身の趣味・趣向にあったことしかしない、という人だったら。もちろん松本さんはすごい芸人さんなので、それでも面白いことをたくさんすると思いますが、尻をひっぱたかれての笑いは生まれないでしょうし、そんなんじゃ年末にやってたあの特番が成立しない(笑)
この、自分自身の趣味・趣向とは関係のない、第三者の視点に対する意識があるかどうか、というのがポイントになるのではないかなぁ、と思うんです。

今回逮捕された少年たちは、少年たち自身の趣味・趣向として、弱い立場の人間をよってたかって殴りつけたり、タバコを押し付けたりするのが大好きな人間なんでしょう。
そーゆー人間なのはもうそれはそれとして、ここに個人の趣味・趣向とは関係ない、弱い人間をよってたかって殴りつけるのは卑怯だ、とか、カッコ悪い、とかの第三者的な視点を逮捕されていた少年たちが持っていれば、もしかしたら事件は避けられたかもしれない。

イジってる方がどう思おうが、イジられてる方がいじめと思ったらいじめ、という意見にしたってね。個人の趣味・趣向として例えばちょっと無視された、くらいのことでもう自殺したいくらい辛くなっちゃう人もいるかもしれません。そこで、個人の趣味・趣向とは関係ない、ちょっと無視されたくらいで死ぬなんてバカバカしいとか、いじめているヤツらは心が貧しいんだ、とかね、そういう第三者的な視点がないと、それで自殺しちゃう人も出るかもしれない。
あるいは、ちょっとしたことでやたら被害者意識を募らせて、クレーマーみたいなことになってしまうかもしれない。クレーマーと呼ばれるような人は、ちょっとしたことでギャーギャー騒いで、あわよくば金をせしめようなんてのはみっともないことだ、という第三者的な視点が抜けているのでしょう。

今回の松本さんに対しての批判は、「松本さん自身が笑えるか笑えないか」がいじめかどうかの基準になるなんて、という批判であり、ひいては「いじめっ子自身が笑えるか笑えないか」がいじめの基準になるかどうかなんてとんでもない!という批判であり、俺なんかは松本さんが言っている笑えるかどうかって多分そういうことじゃないよ、と思うんです。

で、「松本さんが笑えるか笑えないかが基準と言った」ということが、イコール「松本さん個人の趣味・趣向で笑えるか笑えないかがいじめかどうかの基準になる、と言った」ということに即効で変換されてしまうあたり、なんというか、第三者的な視点を持てる人があんまりおらんのかいな?と、思ってしまうんですよねぇ。

第三者的な視点って、大きく言えばモラルとか、倫理とか、古い言い方をすれば、お天道様が見てるとかね、そういうことだと思うんです。
もちろん俺自身が立派な人間で、モラルを完璧に守る模範的な人間だ、なんて言うつもりはないですよ。ただ、それに従えるか従えないかはともかくとして、自分の趣味・趣向とは関係ない、第三者的な視点は持ってはいる、つもりです。

それは、空気を読むとか、同調圧力とも違うんだよな~。例えばいじめっこの言う、お前空気読んで裸になれよ、みたいなことは、ただのいじめっこが作っている空気に過ぎないですからね。それは別に従う必要がない。やっぱり、お天道様が見てるとか、そういう言い方のほうがしっくりくるなぁ。

第三者的視点、モラル、倫理、お天道様が見てる、的な考え方が、この記事見てる限りだと日本人から失われてしまったのかしら?と、思った、という話です。

例えばバイト先に芸能人が来たことをSNSにあげてしまうバイトとか、
悪ふざけ画像をツイッターにあげてしまうバカとか、
ちょっとしたことを炎上騒ぎにするヤツとか、

まぁ、こういう人たちも、そーゆーコトするのはみっともない、という第三者的な見方を失っている人たちなのでしょう。こーゆーのが増えているあたりも、そーゆー考え方が減ってきているんじゃないかな、と思う一因では、あります。

はーぁ、寝よ。

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性欲にも、正直(笑)

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「貧困女子高生」が捏造かどうかでなく、弱者の立場が想像できない人が政治家であることに危機感を持った方がいいと思うけど [ニュース読んでみて]

8月28日のBuzzFeed Japan、「NHK『貧困女子高生』報道へのバッシングは、問題の恐るべき本質を覆い隠した」という記事です。

無理に内容まとめると、こんなかんじ。

・「経済的な壁に直面」している女子高生の部屋にアニメグッズやエアコンが映り込んだことで、貧しくないという批判が巻き起こった
・「絶対的貧困」に比べて見えづらい「相対的貧困」を当事者である高校生が伝えるイベントで、バッシングにより相対的貧困が社会に理解されていないことが露呈した
・日本の子どもの6人に1人が貧困で、ひとり親世代に限れば54.6%と先進国でも最低水準
・日本では貧困の子どもには当たり前の生活が許されず、子どもの平等という視点が欠けている


うーん。


えーと、俺が最初に思ったのは、これでバッシングをしている人たちは、さぞ立派な人たちなんだろうなぁ、っていう。
あの、皮肉とかでもなんでもなく、そう思う。特に今回、片山さつき議員が便乗したじゃないですか。バッシングしている人たちって、まぁ、中には仕事もしてなくて、ヒマでヒマで、なんだか誰かの足を引っ張りたい、というタイプの人たちもいるとは思うんですけど、結構その、片山さつき議員を筆頭とした、立派な人たちがたくさんいるんじゃないかなぁ、と思うんですね。

このブログを読んでくださっている奇特な人はわかってくれると思うんですが、俺自身は俺のことを立派な人間だと思っていないし、事実立派な人間ではないし、ダメ人間だと思ってますし、事実ダメ人間です。
ただ、俺の場合はたまたま貧困にあえぐ家庭に産まれたわけでは無かったので、この女子高生とは状況が違う。

で、仮にこの貧困女子高生と俺が同じ境遇だったときに。で、同じように専門学校かなんか行こうと思ったときに。

親が買ってくれるという(クラスメイトはみんな持っている)スマートフォンを断り、好きなアニメやライブに行くのをすべて我慢し、専門学校に行くために他の全ての欲をシャットアウトし、奨学金その他の制度を完全に調べ上げ、自分の人生すべてのベクトルを専門学校に行くために向けることができるか、というと、それは無理じゃねーかなぁ、と思うんですね。そこまで俺がストイックにできるとは思わないよ、っていう。


で。


片山さつき議員をはじめとする、今回の女子高生をバッシングする、いわゆる立派な人たちは、ストイックにできるんだと思うんですよ。

仮に今回紹介されている貧困女子高生と、片山議員が若いころ同じ境遇にいたとした時にね。

片山議員は専門学校に行けると思うんです。つまり、親がスマホいるかい、といっても断り、ほしいアニメグッズは買わず、行きたいライブにもいかず、専門学校にいくために奨学金その他の制度をすべて調べ上げ、並行して勉強に勉強を重ね、専門学校に行くと思うんです。

片山議員がそれくらいストイックにできることを否定する理由なんかひとつも無いですけど、じゃぁ、それが、普通かい?と、思うんですよね。

どちらかというと俺みたく、目の前の誘惑に負け、周りの風潮に流され、夢があったはずなのにいつの間にかなんだかよくわかんなくなっちゃった、という人の方が普通であり、多数派だと思うわけ。

で、問題は、その普通であり、多数派の女の子が、普通にしていると、いろんなことをあきらめなければいけない、という状況にあるんじゃないかと。

その、急に話変えますけど、イチローってすごいじゃないですか。こないだメジャー3000本安打を達成しましたが、40歳を超えてなお、世界最高峰のリーグで、世界最高のプレーヤーとしてプレーをしている。そのための努力や、自制していることってもう、俺みたいなもんが想像できる範疇を超えていると思うんです。

イチローがすごい、ということは全然全く否定されることではないのだけども、じゃぁ極端なこと言えば、国民全員が、イチロー並みの努力をして、イチロー並みに自制して生きなければ、普通の生活ができない、という国があったとしたら、その国はまともと言えますか?ってことなんですよ。少なくとも、俺がそんな国に生まれたら、速攻で落ちこぼれるよ、それに関しては自信がある(笑)

イチローが成功するのはそれはそれで当然のこととして、イチローよりも圧倒的に意志の弱い、普通の人が普通にしていれば普通に暮らせるように、ってことを考えるのが政治家の仕事じゃないのかい、片山さんよ、と、思うんですよね~。


で、ね。


今回の記事の中で俺が一番問題だと思うのは、バッシングが巻き起こったことそのものというよりは、バッシングをしている人たち自体はもしかすると立派な人で、今回紹介された貧困女子高生と同じ境遇に陥ったとしても目指す専門学校に入れる強い意志を持った人なのかもしれないけど、そーゆー人たちが弱者の立場や気持ちというものを全然想像できない、ということ。
特に片山さつき、政治家であるにも関わらず、弱者の立場が想像できず、あろうことかバッシングする側に回る、ってのは、民主主義国家の政治家として、どうなの?と、思うわけです。

もちろん日本が資本主義社会である以上、ありとあらゆる人を救え、というのは間違ってると思いますが、今回紹介されてる女子高生が、いろんな夢を諦めなければならないほど自堕落な生活をしてるとも思えないじゃないですか。これが借金しまくってアニメグッズを買いまくってるとかなら話は別ですけどね。

そりゃ政治家とかになる人は基本立派な人でしょうから、多少の貧困なぞものともせず夢を叶えられるのかもしれないけど、そうじゃない人もいる、という想像ができない、というのはそもそも政治家としての資質がどうなんだろうか。
あーゆーのがどんどんえらくなったら、ごく少数の選ばれしエリートしか生きられない国家になっていくのではないかい?と。
普通の人が、普通にしてれば普通に暮らせる。その普通の範囲をできるだけ大きくして行くのが、政治家の仕事ではないのかい?と。


記事にあるように、現代日本は普通の子が普通に生きているといろんなことをあきらめなければならない社会である、ということも問題だと思いましたけど。
立派な人が普通の人、弱者に寄り添えず、それどころかバッシングする側に回る、ってことが問題なのではないか、と、思った、という話です。そりゃぁ、政治家に庶民感覚が分からないとか、政治家になんか頼れない、とか、言われるよな、と。


はーぁ、寝よ。

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全員がこんな生き方はできないんですよ(笑)人の上に立つ人は、この生き方をした上で、弱い人の気持ちもわからないと、ねぇ。

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4コマまとめてみました:その2 [4コマまとめ]

傑作選、みたいにしようかと思ったけど、やっぱりやめてとりあえず並べてみます(笑)

ファッション.png

痴漢.png

ウィンター.png

メリクリ.png

ボブスレー.png

とりあえず並べると決めたものの、やっぱり抜き取りたいものもある、なぁ(笑)

はーぁ、寝よ。

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4コマまとめてみました:その1 [4コマまとめ]

けっこう数が増えてきたので、4コマをまとめたページを作ってみようかと。
でも意外と、恥ずかしいな(笑)絵が下手なので、続けているうちに絵柄が変わる、みたいなことはあんまないかと思ってたんですが、変わるね、絵。むしろ下手な方が変わるね!

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半裸.png

偉大.png

虫嫌い.png

ぶつからない.png


うーん、今後もしばらく4コマまとめた更新は続けます。
ちいがかわいくないわ~、今よりも、より!(笑)

はーぁ、寝よ。

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猫ひろしの五輪出場は、猫ひろしだけの問題ではないので、カンボジア人からまたすぐ日本人に戻るべきではない、という感想 [ニュース読んでみて]

8月23日のITmedia ビジネスオンライン、「カンボジア代表・猫ひろしの『素顔』と『日本人帰化問題』を追う」という記事です。

内容を無理やりまとめると、こんな感じ。
・猫ひろしが、リオ五輪のマラソンで139位に入った
・日本勢がそれぞれ16位、36位、94位に入ったのに比べ、順位は下だが話題性は圧倒的
・とはいえ、縁もゆかりもないカンボジアへ国籍を変更してまで五輪代表になったことへの批判は根強い
・重要なのは五輪が終わった「今後」で、カンボジアに恩返しをすべきだ


うーん。


俺の感想としましては、まぁロンドンオリンピックのころから思ってたけど、別にバッシングされるいわれはないわなぁ、と。日本で頑張ってもオリンピックに出られないのなら国籍変えてでも、という考えが汚いことだとは思わないし、日本だからこんな言われ方をするけども、例えばもっと政情が不安定な国で、自国にいたままじゃ政治的な問題でオリンピックに出られないから、国籍を変える、ってことはありうるわけじゃないですか、いろんな問題はあると思うけど。

それ考えれば、猫ひろしはカンボジア政府から求められてるわけだし、全然いいと思うんですよね。オリンピックに出たくて、自分にできる最大限を考えて、国籍を変えるという結論になったんなら、それはいいんじゃない、と思う。

この記事の最後に、カンボジアに恩返しをすべき、という話が出てましたが、なんだか知らないけどよくもまぁここまで上から目線で話ができるな、と思うんですが(笑)
ヤフーニュースのコメント欄とかにちょいちょい出てくる、個人の問題だからいいじゃん、という感想よりも、実は俺は、恩返しをすべきだ派です。

実際に猫ひろしさんがどういうつもりなのかは知りませんけども、仮にですがオリンピックが終わってすぐ猫さんが日本国籍に戻して、っていうことがあったとしたら、それはよくないと思う。美しくない。
美しくないって、バカかと言われそうですけど(笑)今回俺がしっかり恩返しをすべきだ、という意見なのは、この猫さんのケースがモデルケースになり得るからだ、と思うからです。

今までにも、日本から別の国に帰化してオリンピックを目指す、みたいなケースはあったようですが、良くも悪くも帰化してどうのこうのってことがここまで話題になったのは初めてに近いと思うんですね。特に今回の場合は、マラソンの強国ではないカンボジアに移ってのオリンピック出場なわけで・・・もちろんオリンピックに出てちゃんと完走することがすごいことだということはそれはそうなんですけども・・・ま、売名行為といわれても仕方ない要素はあるっちゃぁある。これが、日本のマラソン競技の環境に満足できず、日本よりもっとマラソン強い国に帰化して自分を厳しい環境において、その上でオリンピック出場、という状況であればだれも何も言わなかったろうからね。

日本国内で、自分が生まれた国ではない国の代表としてオリンピックに出場した、という物語がこれだけ話題になった初めてのケースが猫さんだとすれば、この猫さんの物語が、一番最初のモデルケースになる可能性が高いのであって、一番最初のモデルケースは美しくないといけない、と俺は思うんです。

つまり、

今後猫さんがリオオリンピックをきっかけとし、カンボジア人としてカンボジアと日本の架け橋となり、カンボジアに大きな大きな恩返しをしました、という物語になるのか、

全部売名行為でした、オリンピック出られればカンボジアなんぞに興味ありません、すぐ日本人に戻ります、という物語になるのかで、

後に続く第二、第三の猫ひろしの姿勢というか、精神みたいなものが全然変わってくると思うし、バッシングされるかされないか、みたいな流れも全然違ってくると思うわけです。そこにはつまり、パイオニアとしての責任というか、最初に足跡を残したものとしての責任があるのではないか、と。

猫さんが残す物語によっては、今後出てくるかもしれない第二、第三の猫ひろしと呼ばれるような人に、
俺、有名になりたいから弱小国でオリンピック目指そう、出たらすぐ日本人に戻ればいいし、と思うヤツが増えたりとか、
純粋に帰化する先の国のためになりたいとか、売名とかでなくオリンピックに出たいと思っている人が、やたらめったらバッシングを受けたりする、という状況がありうると思うんですよね~。


俺は別に、オリンピックに出るために帰化するとかのことに関して、猫ひろしコノヤロウ!売名だ!不愉快だ!みたいな感想は一切ないですけど、それでも猫ひろしはカンボジアに恩返しをすべきだと思うんですね。

それは、パイオニアの責任として、後続のために美しい物語を残す責任があると思うから。

猫ひろし個人がどうこうではなく、第一人者としての責任は、果たすべきなんじゃないかな~、と、思った、という話です。


はーぁ、寝よ。

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福士加代子選手の発言が炎上した内容を見てると、日本人ってホントそーゆーとこ苦手よね、と思う [ニュース読んでみて]

8月16日のITmedia ビジネスオンライン、「女子マラソンで惨敗した福士加代子の発言は、本当に『KY』なのか」という記事です。

内容を無理やりまとめると、こんな感じ。

・リオ五輪で、マラソン日本代表の福士加代子選手が、日本人最高位の14位でフィニッシュ。メダルどころか、入賞も果たせず、結果は「惨敗」
・ゴール後、福士選手は笑顔で「金メダル取れなかった」「しんどかった、でも楽しかった」などと発言
・この発言を受けて、ネット上は炎上。「この結果で金メダルを口にするなんて」「日の丸を背負っている自覚がない」等。
・福士選手はリップサービスが旺盛で、もともと誤解を受けやすい選手。


ふーん。


なんつーのかな、言い方が難しいんですが、俺の印象としては、こりゃぁ日本人て組織論とか苦手だろうな、っていう。


俺個人の感想としましては、福士選手の発言に問題があるとは思いませんでした。多分本当に素直な気持ちでの発言なんだろうな、と、思いましたし、これが例えば、他人を馬鹿にしたり、自分が負けたのを他人のせいにするような発言を繰り返しているようなことがあれば批判されてもしょうがないのかなとは思うものの、別に競技で走った時の感想を言ってるだけだし。楽しかった!っていう発言のどこがいけないの?

根本的に、俺は選手の発言に品格なんか必要ないと思っています。まぁ、対戦相手をおとしめないとか、最低限の品格は必要だと思いますが、全員が全員日の丸を背負って戦う必要なんかないと思うんですね。

それはなんでかというと、実際に競技をしている選手というのは、会社組織でいえば現場の人だから、と思うんですよ。もちろん日の丸を背負って頑張ることは素晴らしいことだと思いますけど、選手それぞれモチベーションは違うんだし、日の丸なんか関係ない、自分のために競技するんだ、って人がいてもいいと思う。
現場の人に求められるのは何かというと、結果です。モチベーションが何かなんて関係ない、結果を求められるのが現場の人、今回の記事でいえばそれは競技に参加した福士選手だと思うんですね。

だから、「金メダルが取れなかったこと」「惨敗という結果」に対する批判、というのはある程度仕方ないことだと思います。俺はマラソン詳しくないんでわかりませんが、例えばペース配分がうまくいってなかったとか、勝負を仕掛けるタイミングが悪かったとか、オリンピック直前の練習メニューが悪かったとかで、その結果負けた、と、専門家の目から見てそういうことがもしあれば、福士選手が批判される材料にはなると思うんですよ。

もちろんオリンピックなんて極限の世界だと思いますので、福士選手が金メダルを取れなかったことについて、福士選手だけを責めても仕方ないことも多々あると思います。が、それでもやっぱり選手は勝つために競技に参加するんだし、本人だって勝つつもりだったんだと思うんですよ。選手を会社組織の現場に立つ人とすれば、現場でなんらかのミスがあり、それで勝てなかったとすれば批判はある程度仕方ないと思う。


他に批判されることがあるとすれば、結果を出すことに対して真摯でなかった場合、だと思うんですね。仮にですが、福士選手が金メダルを取ることを目指さず、ただ楽しく走れればもうそれで満足、みたいな姿勢でオリンピックに臨んでいたのであれば、これは批判されても仕方ないと思います。まぁ、今回の発言によって、そういう姿勢だと勘違いされた部分はあったのかなぁ。

が、この記事を読む限りではそんなことはなく、オリンピック前の金メダル発言にしたって自分を追い込むためのものだったのかな、と。俺の印象ですが、福士選手は発言やなんかで自分を追い込み、真摯に金メダルを目指して努力を重ねたが、いろんな要因で力及ばず惨敗という結果に終わり、いろんな気持ちが渦巻いている中で、それでもリップサービス旺盛な選手なので、楽しかった!という発言が出てきた、ということだと思います。

福士選手が競技に対して真摯に取り組み、金メダルを目指していた以上、もし福士選手が批判されるとすれば、競技中に取った作戦がまずかったとか、作戦ミスをしてその結果惨敗してしまった、ということしかないのではないかと。


で。


記事内に出てくるような、「あまりに品がない」「惨敗なのに楽しいなんて」「日の丸を背負っているという自覚がない」とかの理由で批判されることがあるとすれば、会社組織でいえば結果を出す責任を負う管理職、今回の記事の中の登場人物でいえば、日本陸上競技連盟じゃないかと思うんですね。

今回の記事では連盟の人の発言は載ってませんでしたけど、仮に連盟の会長かなんかが「楽しけりゃいいじゃん」「メダル取れなくてもいいじゃん」みたいな発言をしていたとしたら、それは批判されるべきだと思うんです。連盟を福士選手の上司と考えれば、連盟の仕事は福士選手が全力を出せる環境を整えることであり、整えたうえで福士選手の出した結果の責任を全て負う、ということでしょう。それは、連盟は日の丸を背負っているという自覚を持ち、結果が出なければ責任を負うべきだと思うよ。

要するに、今回福士選手の発言で炎上させている人たち、全員かどうかは分からないけど、ちょっと批判の内容と矛先が間違ってるんじゃないかい、と思うんですよね。
福士選手は会社組織で言えば現場の人。仕事に対するモチベーションをどこに置くかなんて関係なく、結果を出すことを求められる人。批判されるとすれば、結果を出すまでのプロセスで何かしらのミスをした、ということがあった場合。
福士選手の出す結果に対して責任を負う、会社組織で言えば管理職にあたる人は、今回の記事内で言えば日本陸上競技連盟。こちらは日の丸を背負っているという自覚を持って選手が力を発揮できる環境を整え、選手が出した結果に対して責任を負うべき。
まぁ、日本陸上連盟がその辺の責任を負う組織なのかは知りませんけど。元記事内に登場したのでこういう書き方をしてます。

日本人の傾向だと思うんですけど、競技の内容そのものは精いっぱいやったんだからいいじゃんつって批判せず、でもその選手の姿勢や心構えを批判する、みたいなとこがあると思うんですよね。それは選手に対する批判としては的外れで、なんでそんなことになるかっつーと、日本人が組織論とかが苦手だからだと思うんだよなー。


福士選手の今回の発言は、何にも問題なし。

それは、福士選手の立場が会社組織で言えば現場の人で、管理職ではないからであり、

批判して炎上させてる人たちは、その辺なんだかごっちゃにしてんじゃないの?


と、思った、という話です。

はーぁ。寝よ。

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多分、町長よりちいの方が人気者(笑)

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不妊治療をどうこう言わないけど、この記事読むとそこまでして血のつながった子どもじゃないといかんのかね、とは思うなぁ [ニュース読んでみて]

8月13日のダイヤモンド・オンライン、「セックスレスなのに妊娠したい妻を支える『秘密の彼氏』の献身」という記事です。

内容を無理にまとめると、こんな感じ。

・セックスレス夫婦でも、子どもが欲しくて不妊治療をする夫婦がいる
・パートナーとしてはともかく、お互いに愛情は感じていないので、外部にパートナーを作りつつ、不妊治療という夫婦
・夫が通常のセックスに興味がないため、第3者とともにネトラレプレイに励んで夫の精子を採って不妊治療に励む夫婦
・セックスレスだが、夫婦の子どもが欲しい、そのために婚外の異性と愛し合う協力関係は確かに存在する


・・・うーん。


ま、合理的ではあるよね、とは思います。というか、なんてーの、人間というよりは、動物とかの群れとして考えると正しいような気もしますね。
最近では核家族化が進み、夫婦二人というのが群れの最小単位になっているけれども、群れの機能としてとりあえず不足はないにしても、そこで満たされない部分・・・例えば愛のあるセックスが足りないとか・・・あるいは夫の子どもがほしいが夫の性的な能力が低いとか・・・みたいな満たされない部分があると人間は満足できない。ので、その部分のためによそから男やら女を引っ張ってきて補てんする、と。

どこまでを群れとみなすか、みたいな話もありますが、要するに夫婦という最小単位に、今回の話でいうと妻の性欲を満たす役、であったり、夫の精液を採取するために、夫の特殊な性癖を満たす役のオスが、群れに入ってくる、ということでしょう。夫だけでは賄えない部分を他のオスが補うということだから、合理的っちゃぁ合理的だよね。

まぁ、それぞれの合意があればいいんじゃねーかとか、いや、倫理的にどうのこうのとか、いろいろあるとは思いますけど、まーでも、少ないでしょ、こんな人。そもそも騒ぐほどの母数がいないだろうな、とは、思う。


で。


ふと思ったんですけど、ここまで愛だの恋だの夫婦関係だのに対して合理的なんであれば、なんで、養子縁組じゃだめなんだろう、ってことで。

夫はあくまでパートナーで、経済的や精神的に支えあう、性的に満たされない部分は別のパートナーが担うか、協力し、とかやるなら、なんか、そこまでいけば子どもも他人の子どもでよくない?とは、思う。
ちょっと調べたんですが、日本国内で児童養護施設に入っている子どものうち、養子縁組で一般家庭に引き取られるのは1%くらいだそうです。4万人に対して400人くらいだとか。世界的に見てもこの低さは異常だそうです。

そんな状況でね、不妊治療とか、セックスレスとかのこんな特殊な状況を面白がって書くんじゃなくて、例えば長いこと不妊治療をしていたのに子どもができずに苦しんでけど、養子縁組をして今は子どもと幸せに暮らしています、みたいな家族を取材して、少しでも養子縁組の啓蒙につなげる方が、よっぽど意義のある記事になりそうな気がするんだけど、どうなんだろう。

別にその、いいんですよ、記事の中に出てきた人たちがね、自分たちの血のつながった子どもでないと親に申し訳が立たないとか、結婚した夫との子どもが欲しいとか、そういう考え方を持っていること自体はいいんです。
個人の考え方ですから、そこは俺がどうこう言うとこじゃないですよ、そんなもん。

ただ、その解決方法として、夫婦だけどセックスに関してはお互いに外にパートナーを持ち、体外受精で子どもを授かる?
ただのセックスには興味のない夫の精子を採取するために外部から協力者を呼んで3Pをする?

要するに、考え方は自由ですし、そういう考え方を持っている人を否定はしませんが、見たかぁねぇんだよ、そんな話、こっちは!!と、思うわけです。

別にいい人ぶりたいわけじゃないですけどね、俺個人としては倫理的にどうかと思いますし、正直気持ち悪っ!と思います。数が多い方が偉いとは思わないけど、そう思う人の方が多いでしょう。あんたらの考えは認めるから、こっちの見たかねぇんだ、という考えも認めたまえ、という話なんですが(笑)

つまり、見たかぁねんだよ、こんな話、気色悪い!と思う人の方が多いだろうと思うし、
現在不妊治療をしてる人の中にも、不妊で悩んでる人が皆こんなんと思われたら困る、という人のが多いだろうし、
なんか衝撃的な内容なのは認めるけど、誰が喜ぶの、この記事?と思うわけです。

で、あれば、養子縁組でうまくいった話かなんか載せれば、
いい話だな、と読んだ人も気分がよくなるし、
長期の不妊治療で悩んでいる人もそんな選択肢があるんだ、と考えるきっかけになるかもしれないし、
そうなれば親が見つかる施設の子が増えるかもしれないし、
はっきり言っちゃえばこの記事の中に出てくる人も、養子縁組が日本でもっと一般的だったらこんな気色悪いことせんかったんじゃないの?とすら思うわけです。


そこまで割り切って考えられるんなら、夫婦の年齢や、出産のリスクなんかを考えて、血のつながりにこだわらず養子縁組でよかったんじゃないかと思うし、
記事を載せてる雑誌の方も、ただただ衝撃的な内容を追っかけすぎて気色悪い記事を載せるくらいなら、
施設で暮らす子供たちのために、社会貢献になるような記事を書いた方がいいんじゃないか、
と思った、という話です。
体外受精の使い方も間違ってる気がするんだけどなぁ。いや、なんつーか、倫理的に?


なんか腹立つので、養子縁組に関するサポートを行っている団体のホームページへのリンク貼っておきます、雑誌に比べたらカスみたいな影響力の我がブログですが(笑)広がっていったらいいなぁ。


日本財団ハッピーゆりかごプロジェクト事務局ホームページ


はーぁ、寝よ。

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現状をポジティブに言い換える、ってのはすごく重要ですよね(笑)

もしこのブログ、ってか4コマに興味持ってもらえたら、ぜひ4コマのキャラのプロフィール見てみてください!
http://yurinti.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305355943-1
あの、彼らを好きになってもらえるととてもうれしいです。

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物議呼ぶような問題じゃねーだろ、中学生男子から中学生女子へのセクハラなんぞ [ニュース読んでみて]

8月9日の日刊スポーツ、「壇蜜の中学生セクハラ悩み相談の回答が物議呼ぶ」という記事です。

内容を無理にまとめるとこんなかんじ。
・壇蜜さんは毎日新聞紙面で、男子生徒から毎日のように「パンツ見せて」「ブラジャー何色?」と聞かれて困っているという女子生徒の相談に乗った
・「思い切ってその手をぎゅっと握り『好きな人にしか見せないし触らせないの。ごめんね』とかすかに微笑んでみてはどうでしょうか」とアドバイス
・「壇蜜さんのコメント最高ww」や、発言自体がセクハラまがい、と賛否両論
・コラムニストの犬山紙子さんもツイッターで私見を披露


ふーん。


あの、世間一般にもーちょっとさぁ、遊びというかさぁ、余裕があってもいいのではないかと思うんですよねぇ。
俺個人としては、壇蜜さんの回答は非常にいいのではないかと思います。大人の対応というか、あしらい方としてはいいんではないかなぁ、と。


で、犬山紙子さんのコメントね。あ、内容は記事読んでくださいね。


いや、正論だとは思うけれども、遊びというか、余裕というか、が、ないよねぇ、とは、思うなぁ。なんというか、粋じゃ、ない?

あの、誤解されると嫌なんで先に言っときますけど、女性に遊びとか、余裕を強要して、男からのセクハラを容認しろ、と言いたいわけではないんです。

別にこれが男子から女子へのセクハラ発言じゃなくてもいいんですよ。男から男への飲みの席でのアルハラ発言でもいいし、女から女へのマタハラ発言でもいい。
何でもいいんですけど、ハラスメントに対して大人の対応っつーんですか、ちょっとユーモアや余裕を交えて、うまいこと受け流すというか、あしらう、いなす、みたいなことを考えられる人が近頃少ないんでねーかい、と、思うんですよね。

犬山さんのコメントはもっともだと思うし、理想だとは思うものの、そんなん窮屈でしょうがないし、おかしな人ってのはどうしたって一定数いると思うんですね。
感じ方が人それぞれだとすれば、ハラスメントの基準は無限にあるし、ハラスメントと感じる人は無限にいるし、ハラスメントをするおかしな人も無限にいるし、絶対0にはならんでしょ。

であれば、大人の対応、いなす、あしらう、みたいな、しなやかさ、みたいなさ。人としての強靭さ、みたいのを身に着ける、って、とても重要だと思うんですけど、どうなんでしょう。その意味で言うと、壇蜜さんの答えは非常にいいと思うわけです、俺は。

セクハラ0!ハラスメントを許すな!とかの考え方って、理想だしいいとは思いますけど、あくまでも理想論で実際にはあり得ない話だし、その考え方って確実に人間から何らかの強さ、しなやかさ、強靭さみたいなものを奪うんじゃねーかな、と思うわけです。

もちろん本当に悪質なものは別ですよ。例えば嫌がってるのに無理やり抱き着いて抵抗してるのも構わずチューしちゃうとかさ、雇用主と従業員という立場の差を利用して、一晩付き合わなきゃクビだぞ、と言い出す、とかね。そんななんか、暴行罪とか脅迫罪とかが同時に適用されそうなセクハラをいなせ、とは言いませんけど、当たり前ですが。

でもさー、この記事のさー、女の子のさー、いやがらせしてる相手、クラスの男子よ?これが担任の教師が内申点を盾にパンツ見せろとか言ってるんだったら全然話は違いますけど、クラスの男子なのよ?中学生男子のバカないたずらをね、仮に大人が介入して、怖かったね、もう大丈夫だからね、かなんか言って女子生徒を保護して、大人が寄ってたかって男子生徒を退学にしたりしてみなさいよ。この先どーすんの?社会に出てそれ以上の何か・・・別にセクハラに限らずですが・・・があったときに、そーやって守られた女子生徒がどうにかできると思う?と、思うんですよね~。


また同じこと言いますけど、ハラスメントをする側を擁護しようとか、ちょっとくらいいいじゃねーの減るもんじゃなしとか、そういうことを言いたいわけではないです。ハラスメントと呼ばれるものがこの世からなくなるならそれはそのほうがいいと思う。
ただ、こんな小さい問題をセクハラだセクハラだと騒ぐのが、「女子生徒の」ためになるかというと、それもそれで違うんでない?と、思うんですよね。どっちかっつーと、この先だれも守ってくれなくても、一人でも対応できる方法を教えている、壇蜜さんの回答は正しい、と思うわけです。

大体が、こんなちっぽけな問題でわーわー騒ぐから、ほんとに深刻なセクハラ被害が埋もれてさ、セクハラくらいで騒ぎやがってみたいなバカなオヤジが出てくるんだと思いますけどね。騒ぐべきセクハラとそうでないセクハラをちゃんと分けないと、問題が矮小化する一方だと思うんだけどな。


はーぁ、寝よ。

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俺も解決方法考えてみました(笑)ちいをギャルっぽくしてみたんですけど、伝わるかな?

もしこのブログ、ってか4コマに興味持ってもらえたら、ぜひ4コマのキャラのプロフィール見てみてください!
http://yurinti.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305355943-1
あの、彼らを好きになってもらえるととてもうれしいです。

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ママっ子男子が有りか無しかは、その男子が童貞か否かに大きく左右されると思う [ニュース読んでみて]

8月2日のヨミウリオンライン、「『ママっ子男子』共感の声…読者の反響」という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ
・ママっ子男子とは、買い物や旅行で母親と仲良く行動する20歳前後の男性
・マザコンとは違い、決定は自分でするなど精神的には自立している息子と、一緒に行動しても恥ずかしくないような若々しい母親、という組み合わせ
・肯定的な意見例:「息子も『ママが一番好き』ではないし、私も息子に執着していない。共通の趣味を持つ友達のようなもの」
・否定的な意見例:「社会的に強く生きていけるようになるためには、親は時として強く突き放すことが肝要」


ふーん。


俺の感想としては、ま、別にいいんじゃない、と。仲が悪いよりは良い方がいいんじゃない、と。思うんですけど。

ただ、ママっ子男子は、無し!というケースもあると思います。
その、有りか、無しか、を判断する、俺が思う極めて重要なファクターが、その男子が童貞か否か、です。

いや、またこいつこんなこと言い出しやがった、と思うのは分かりますけど(笑)マジで重要な要素だと思うんですよね。

要するに、母親とどれだけ仲良くてもいいけど、他にコミュニティがあるのか?人付き合いはちゃんとあるのか?ありていに言ってしまえば、彼女はいるのか?と、いうことなんですよ。

記事に出てくるママっ子男子がどうなのかは知りませんけどね、例えば週末どこにも遊びに行く予定がなくて、コミュニティといえばインターネット上のチャットくらいしかなくて、どっかなんか出かけるとなるとママと一緒にどこか出かけるくらい、という男子がいたとしますわな。


もちろんその場合でも精神的には自立していたり、他に趣味があるからママが一番、ではないのかもしれないけど、結果的にはマザコンと変わらないと思うよ、それ。


恋愛感情とか、肉体関係とかのない、友達付き合いみたいな関係だとしても、母親である以上やっぱり甘いだろうし、気を使わずに付き合える相手だろうし、結局母親との付き合いは赤の他人との関係を作る練習にはならない。

母親とばっかり遊びに行っているとしたら、人間関係が広がらずに閉じていくばっかりだと思うんですよね。だって、母親と遊びに行ったりするのが楽に決まってるじゃないですか。赤の他人の女より、無条件で優しくしてくれるし、甘えさせてくれるに決まってる。赤の他人の女とそこまでの関係性作ろうとしたら大変ですよ。まぁ、俺は母親と二人で出かけたりするのは嫌ですけど(笑)その意味で、母親との関係に甘えているだけのママっ子男子は無し、だと思うんですよね。

そう考えたときに、母親と遊びに行く以外の人間関係を持っている、彼女がいる、という場合に、初めてママっ子男子というのは容認されるべきではないかと。他の記事で、ママっ子男子は女子にも人気、みたいな記事がありましたが、例えば合コンかなんか行って、

男:俺休日は母親と遊びに行ったりもするんだ~
女:へー、素敵な親子だね☆

みたいなやり取りがあり、彼女を作ることができる男子ならば、ママっ子男子であっても問題ないんではないかと思うんです。


つまり、ここまでの内容を総括すると、ママっ子男子にも有りのママっ子男子と、無しのママっ子男子がいて、何がそれを分けるかというと。

非童貞のママっ子男子は、有り!
童貞のママっ子男子は、無し!


だと思う、ということです。

ヨミウリオンラインのアンケート結果も、童貞か否かを要素に組み込んだら、大分結果が変わってくると思うがな~(笑)

はーぁ、寝よ。

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うん、これくらいリア充ならちょっとおすそ分けしてほしい気持ちもわからんではないがいったん落ち着け。

もしこのブログ、ってか4コマに興味持ってもらえたら、ぜひ4コマのキャラのプロフィール見てみてください!
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あの、彼らを好きになってもらえるととてもうれしいです。

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