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このくらいのことを男性差別と受け取るってことは、つまり、さぁ・・・と、いう話 [ニュース読んでみて]

2016年9月21日のJ-castニュース、「『【男性のみ】お断り』のイタ飯店、『差別』指摘受けとった行動」という記事です。

あえて内容をまとめると、こんなかんじ。
・東京新宿歌舞伎町のイタリアンレストランが男性のみの入店を禁止してツイッター等で物議をかもした
・「男はイタリア料理食べる権利もない時代来てんのな!」「これは男が女を誘えるツールになるのでむしろ喜ばしい」といった意見が
・「女性に優しい食べ飲み放題イタリアン」「男性の目を気にせず心行くまで満足したいという要望にお応えします」というコンセプトのお店
・店側には男性差別の意図はなく、誤解を招いたとして男性のみの入店もOKにした


へーえぇ。


あの、俺が思ったのは、このレストランを批判している人は、普段からさぞ、女性に虐げられているんだろうな、ということで。

コトバンクを一部抜粋しますと、差別とは、 1.あるものと別のあるものとの間に認められる違い。また、それに従って区別すること。「両者の差別を明らかにする」 2.取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」

と、ありますが、俺はこれに加えて、
「強者から弱者に向けて行われるもの」
が、差別だと思うんですね。少なくとも、そういう状況の時に差別と感じやすい。

例えば人種差別なんかだと、戦争の勝者である白人が、敗者である白人以外の人種を奴隷にしたり、不当な扱いをしていたわけですよね。
障害者差別や、LGBTに対する差別も、多数派である健常者や、一般的な性的指向の人が、不当な扱いをする場合が、差別だと思うんですよね。
もちろん厳密に言えば違うのはわかりますが、例えば障害者が「健常者なんて、ケッ」なんて言ってても、それは感覚的に差別とは言われにくいと思うんです。その感覚自体が差別と言われてしまうとそうかもしれませんが・・・ま、一般的な感覚として、ということです。


で。


男性か女性か、差別されるのはどちらか、という話になると、まぁ女性が差別される、と。いうのが通常の考え方だと思うんですね。
要するに、

女性=弱者=差別される側
男性=強者=差別する側

と、いう構図が今の日本にはある、と思うんです。

まぁ、同じ仕事をしているのに男のほうが給料が高いとか、日本の政治家やら社長は男ばっかりだとか、性産業は男が女を食い物にしてるとか、いろいろあるでしょう、女性差別の現状は。

その現状をなんとかひっくり返そう、男尊女卑の現状を男女平等にしよう、ということで、いろいろ活動してる人もいるわけですよね。俺は男なので、女の生きにくさみたいなことは本当にはわかってないと思いますけど、時代によってはとっても生きにくい時代とかもあったと思うんです。


で、ね。


多分なんですけど、例えば男がとても強かった時代にこの記事みたいな店が出てきても、男性差別だ、なんて話は出なかったろうと思うんですよ。なぜなら男が強者だから。男性のみのお客お断り、というレストランに対して、ま、差別だと思ったとしても、弱者である女側のささやかな抵抗、くらいにしか考えなかったんじゃないかと思うんです。

だから言い方を変えれば、この記事見ると男が弱くなったんだな~、と。このレストランに対して、どれくらいの人が批判したり連絡したり、この看板を下げさせるための動きをしたのかはわかりませんけど、結局店が看板を下ろしたわけですから、まーそこそこたくさんの人が男性差別だ、と思い、そして、言ったんでしょう。
差別とは強者から弱者へ行われた時に感じやすいものである、という俺の理論が正しければ、それだけたくさんの男が、自分を弱者だと感じているってことだと思うんです。自分は普段虐げられている、とかね。

男性差別云々という意味では俺は特に何も感じませんでしたが、
このレストランに対して騒いでいる男が結構たくさんいるのかしらと思うと、
男の力が弱まってるんだな~、と思った、という話です。
俺自身が強い男だ、とは思いませんけど、ね。

ちなみに俺個人としましては、男は絶対に女にはかなわないもんだと思ってます(笑)結局今までが戦争とか、戦いが多い歴史だったので、そっちが得意な男が表面化して、男に有利なシステムを作ったから男が強かっただけで。本質的には女の方が強い、と。行き過ぎた男尊女卑はもちろん是正されるべきだと思いますけど、あんまり声の大きい女性を見ると、あんまりいじめないで、男は弱いんだから、と思いますな(笑)

はーぁ、寝よ。

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曲解は、勘弁してください(笑)

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金メダルにはこだわるべき、協会とか、国は。パラリンピアンは全力で競技をしてもらえばいいのでは [ニュース読んでみて]

2016年9月20日のJ-castニュース、「パラリンピックも『2位じゃダメ』なの?『金メダルゼロ』への注目の是非」という記事です。

記事を無理にまとめると、こんなかんじ。
・2016年9月のリオパラリンピック、日本は銀10個、銅14個を獲得。
・主要メディアでは、金メダル0という見出しも踊った
・「パラリンピックの選手まで金メダルの数を競わされるのか」「悔しい思いをしているのは選手なのだから、我々はもっと支援すべき」といった意見が出た
・メダルへの投資が社会への投資


うーん。


俺の感想としましては、いや、こだわれよ、と。
金が取れたかどうかにはどう考えてもこだわるべきだろう、と。

記事のなかに出てきた、「パラリンピックの選手にまで、金メダルの数を競わせるのか」とか言ってる連中、まぁおそらくは一般のツイッターユーザーだとは思いますけど、同じようなことを万一日本のパラリンピック協会の人とかが言ってるんだったら、クビにすべきだと思うよ。

誤解して欲しくないのは、選手を責めてるんじゃない、ということ。選手はもちろん精一杯競技されたんだろうし、もし力を発揮できずに負けてしまったのだったらそれは本人が一番わかってるだろうから、俺ごときがどうのこうの言うべき問題ではない。結果金メダルではなかったとしてもね。

要するに、金メダルの数ってイコール、各国のパラリンピックへの本気度であり、パラリンピックという大会の性質上、障害者支援とか、障害者がやることに対するその国の本気度だと思うんですよ。

で、もちろん国によって国力の差はありますので、金メダルが取れない国が出るのはまぁしょうがないっちゃーしょうがない。ただ、日本は一応先進国ってことになってるわけですから、国として支援していくべきじゃねーのか、と思うし、しっかり支援して結果を出す、つまり金メダルを取っていくべきじゃねーのか、と思うわけです。

記事の中で、日本でパラリンピックの支援体制ができたのは2013年のことで、3年でこのメダル数は上出来、なんて話がありましたが、上出来なのは選手であって、国の支援としてはどうなの、と思うんですよね~。
つーかむしろ、支援なくて1964年から金取り続けてたことのほうがすごいわ。これちゃんと支援体制が出来たらどーなっちゃうの?


んで、ね。


障害者スポーツだから、金メダル0でも問題ない、というのはアスリートに対する言葉ではないよな~、と、思います。俺は全然そのツイッターの反応とかを見てないので、細かい内容はわかりませんけど。障害者なんだから金にこだわらなくていい、ということだとしたら、障害者だからアスリート扱いをしてない、ということに等しいよな、と、思うわけです。そーゆーのを、差別というのではないかしら?

日本という国に関して言えば、障害というものに対する取り組み、社会の空気を変えていくためにパラリンピックを盛り上げていくべきだと思うし、そのためには選手をしっかり支援して金メダルやらメダルがいくつ取れたか、にはこだわるべきだと思う。
結果、記事にあったようにバリアフリーに繋がるようなこともあるだろうし、世界にも日本は障害者支援に力を入れている、とアピールする場になるでしょう。で、あれば、やはり金メダルの数にはこだわるべきだよなぁ。

選手については、全力で競技に臨んでもらって、その結果金メダルが取れないのはそれはそれで仕方がない。ただ、全力で競技に臨める状態はしっかり国が支援して作るべきだと思う。

見てる方は、応援の仕方とかスポーツの見方はいろいろありますけど、パラリンピアンをアスリートとして尊敬して、応援すべき。

と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

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4コマまとめてみました:その7 [4コマまとめ]

最近仕事が忙しくて、ひとまず4コマをまとめることしかできんのですが・・・
まとめたらまとめたで恥ずかしいもんだ(笑)

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ゆうのキャラがひどいことに(笑)

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嵐のチケット、せっかく高く買ったんならその利益は転売屋じゃなく嵐に行った方がファンとしてもうれしいんでないの? [ニュース読んでみて]

2016年9月15日のITmediaニュース、「『嵐』のチケット転売容疑で女を逮捕 古物営業法違反の疑い」という記事です。

無理に記事をまとめるとこんな感じ。

・嵐のコンサートチケットを無許可で転売したとして香川県のブリーダーの女を逮捕
・チケット3枚を7万円で転売
・2年前からチケット約300枚を転売して1000万円を売り上げ
・8月下旬に高額転売に反対する共同声明も発表されている

うーん。


あの、今回は合わせて2016年8月29日の現代ビジネス、「『チケット転売』は本当に悪か?経済学的にはどう考えてもOKです アーティストのためにも、これが正解」という記事も読んでもらいたいんですけど。


俺が思うのはね、この逮捕された女が1000万円稼いだことよりも、この1000万円が本来渡るべきところに渡ってない、ってことの方が問題なんじゃねぇか、と思うんですよ。

まぁ、300枚のチケットで1000万円ですから、一枚につき平均で3万円ちょっとの差額が出た、ってことじゃないですか。
嵐以外のチケットも転売してたみたいなので正確な表現ではないですが、ま、この一枚3万円というのは、正規の金額よりそれだけ多く出しても、嵐のライブに行きたい!嵐を応援したい!というファンの気持の表れなわけでしょ。で、あれば、今回この女が手に入れてた1000万円は本来嵐であったり、嵐のライブを主催してる会社とか、運営の所に行くべき金じゃないですか。
二本目の記事に書いてあるような、オークション形式にすれば、チケットの定価分+αのファンの応援の気持ちが、転売屋じゃなくて嵐と、嵐の周りの人らに届くと思うんですよね。で、そうなったらちゃんとファンに還元すりゃいいじゃん。

例えば、今回転売屋が儲けた1000万円が、嵐と嵐の周りの人らに入ってれば、1000万円分ライブの演出が豪華になったりとか、1000万円分ライブDVDが安くなるとかさ。転売屋全体が儲けてる金ってのは今回の1000万円に限らない訳だから、その金がちゃんと運営に届けば、それをファンに還元することができるようになるじゃない、と。

別にチケットの定価分に加えて、1000万円余分にお金が発生する、というのは悪いことじゃないと思うんですよね。運営が考えていたより、ファンの嵐への思いが1000万円分大きかった、ということでしょ。問題はその思いが、嵐ではなく転売屋を潤わせている、ってことじゃないですか。だとすれば、その思い・・・つまり、1000万円が・・・嵐に届くような仕組みを作るのが先決なんじゃないの、転売屋撲滅よりもさ、と、思うんですけど。

オークション制にしたら、金の力でライブに行く人ばっかりになる、みたいな話もあるでしょうが、じゃ、その金の力が転売屋に行くのと、嵐や運営に行って、最終的にファンに還元されるのと、どっちがいいのよ、と。ファン的にも思うんじゃないかなぁ、高い金出したらその高い分嵐がよくなった方がいい、って。

他の記事だと、主催者がやるのに加えて転売業者をもう合法化して、ちゃんとシステム作ったらいいじゃない、なんて話もありましたが、ま、その場合も転売業者の売り上げの一部が運営に入るとか、仕組み作りはできると思うんですけどね。


今は、運営が拾いきれないファンの思い・・・つまりこの場合お金ですが・・・が転売屋の食い物にされている状態で、
転売屋の根絶は難しいんだから、
ファンの思いがアーティストや運営に届く仕組みを作る方が建設的ではないか、
ファンからしても、お金がアーティストや運営に届いて、ライブの内容やDVDの価格なんかで還元された方がうれしいんじゃないの?
それは、経済学なんか持ち出すまでもなく。

と、思った、という話です。

ファン同士もさ、お金たくさん出すファンを敵視すんでなく、私にできない支え方をしてるんだ、あのお金がアーティストを支え、ゆくゆくは自分に還元されるんだ、と思えないもんかな、と思ったり(笑)

はーぁ、寝よ。

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最近4コマまとめの記事ばっかりで手抜きっぽかったので久しぶりに記事書いてみましたが・・・
うーむ、ちょっと苦手分野だったなぁ(笑)
4コマはちょっと出来がいいかも、と自分では思っております(笑)

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4コマまとめてみました:その6 [4コマまとめ]

4コマまとめでーす。
楽しんでもらえると嬉しいなぁ

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まだ、色がついてないくらい。

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4コマまとめてみました:その5 [4コマまとめ]

4コマまとめでーす。
楽しんでもらえると嬉しいなぁ

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なんかいろいろ、試してる感がありますなぁ、このころ。

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4コマまとめてみました:その4 [4コマまとめ]

4コマまとめでーす。
楽しんでもらえると嬉しいなぁ

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久しぶりに見返すと、わけのわからん写真とかアップしてんなぁ(笑)

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24時間テレビも、バリバラも、単体で評価したり批判したりしてもしょうがない気がする [ニュース読んでみて]

2016年9月5日のyahoo個人、「“感動ポルノ”は正論?レッテル貼り?~『24時間テレビ』vs『バリバラ』から考える」という記事です。

無理に内容まとめるとこんなかんじ。

・24時間テレビは、27時間テレビに比べて視聴者の満足度は高い
・NHK「バリバラ」では、「感動ポルノ」という概念が紹介された
・障害者が「感動ポルノ」として消費されるのが批判される、しかし表現として障害を乗り越えるストーリーが批判されるものだろうか
・24時間テレビについて視聴者の意見は真っ二つ。「感動した」という意見もあれば、「押し付けがましい」という意見もある


うーん。


俺が思ったのはね、24時間テレビ単体でどうこうというよりは結局、全体でのバランスなんじゃぁねーかということで。あ、ちなみに俺24時間テレビもバリバラも見てないので、内容云々は分かりません。この記事や関連の記事を読んでの感想なので、そのつもりでお願いします。

俺は障害を持ってないのであくまでも想像でしか無いのですが、多分障害を持ってる人が望むのは、社会の中でそのことが普通になることじゃないかと思うんです。差別されたり、迫害されたりするのはもちろん、逆に持ち上げられたりもてはやされたりするのも望んでる人はそんなにたくさんはいないんじゃないか。普通に生きて、普通に生活できてれば充分、という人の方が多いと思うんですね。

ただ、今の日本は障害を持ってる人が普通にしてれば普通に暮らせるほど、障害者に優しくない。その原因は、差別的な考えもあるかもしれないけど、多くは障害に対して無知で、想像ができないからじゃないかと。

そういう状況の時に、まずやらなきゃいけないのは障害というものの存在を世に知らしめること。知らなければ想像のしようも無いのでね。その意味で、テレビで障害のことを取り上げるのは有効だし、より広く知らしめるために感動の要素を盛り込むのはなお有効だと思うんです。

その意味では、24時間テレビには意味があると思います。多少演出はあったのかもしれないけど、感動の要素を入れることでより多くの人が障害について知ったり、考えるきっかけを作ったわけですから。さらに、寄付金まで集まってるんだから、別に文句はありませんわな。


で。


今、24時間テレビを批判してる人達が言いたいのは、

いつまでやってんだよ、と。
いつまで感動で押すんだよ、と。
もう何十年もやってんだから、いい加減感動はいいだろう、と。

いうことなんじゃないかな、と思うんです。

例として正しいか自信がありませんが、例えばなんですけど、刑事ドラマ。
昔の刑事ドラマって、日本の刑事がバンバン銃撃ったり、ガンガン犯人殴ったり、ドンドン刑事が殉職したりしてたわけじゃないですか。

そーゆードラマがダメなわけじゃもちろんないですけど、そればっかりじゃ飽きますよね。だから今は、リアルな捜査をする刑事ドラマとか、能力的にはむしろ平凡な刑事にスポットをあてたドラマとか、多彩な刑事ドラマがあるわけです。


んで、ね。


24時間テレビの障害者ドラマは、言ってみればバンバン銃を撃ちまくる刑事ドラマだと思うんですよ。つまり、リアルな捜査を描いても地味だから誰も見ない、という時代に、バンバン派手な銃撃戦を描いて皆が見たくなるようにした刑事ドラマ、みたいなかんじで、リアルな障害者の生活を描いても地味だから、感動をのせて皆が見たくなるようにした、っていう。

それ自体は悪いもんとは思わないけど、そればっかりじゃどうなの?とは、思うんですよねぇ。しかも24時間テレビは何十年もやってるわけですから。
障害者を扱う以上、障害者のためを思うなら、最終的には障害者が生きるということが世の中で普通になることを目指すべきであり、それを年に一回お涙ちょうだいのドラマを放映するくらいのことで、障害者のためにがんばって番組作りしてます、みたいな顔されても、なんだこの野郎、ってなる人は多いと思う。

その点バリバラは24時間テレビとはまた別の障害者の描き方をしてるわけで、重要なのはどっちがいい悪いではなく、描き方の多様性なんじゃないかな、と思うんです。

最近のアメリカドラマだと、人種やLGBTへの差別を無くすために、多様な人種であったり、LGBTのキャラクターをバランスよく登場させるよう意識してるみたいですね。
だから、24時間テレビがわりーとは思わないけど、批判をどうにかしたいと思うなら、普段からそういう取り組みを日テレがすべきだと思うんですよ。

つまり、日テレは障害者差別を無くすことを意識して番組作りをします、と。
例えば、ごく普通の一般人の障害者の日常を描いたドラマを作ってみるとか。しかも、障害を乗り越えて感動、とかでなく、普通の恋愛ものにしてみるとかね。
主人公でなくても、通常のドラマの登場人物として障害者を登場させる、とか。
ま、バリバラみたいなバラエティを作ってみるとか。

そーゆーことを普段からやってれば、24時間テレビに対する批判はぐっと減るんじゃないかなぁ。そーいった障害者差別がない社会の実現のために、普段から取り組んでいることの一環として、年に一回24時間テレビで大々的に募金を集めるために、障害者が主人公の感動もののドラマを作る、となれば、大分印象は違うでしょう。

バンバン銃を撃ちまくる刑事ドラマが好きという人もいれば、捜査シーンがよりリアルな刑事ドラマが好きという人がいるように、24時間テレビの障害者のドラマが感動した、という人もいれば、こないだやってた障害者の日常を描いたドラマが好き、という人もいる、みたいな状況になれば、24時間テレビを見る目も大分変わるのではないかと。それに、何十年も同じことやってんだから、そろそろそっちのステージに行けば?とも思います。
仮に、日テレがとても質のいい、でも感動のない、障害者の日常を描いたドラマを作ったとして、それが全然ヒットしなかったとしたら、世間にそれを受け入れる素地ができてない、ってことで、ま、24時間テレビに何の価値も無かった、ということになっちゃいますけどね(笑)

バリバラがいいとか、24時間テレビがダメとかではなく、障害者の描き方に多様性が必要なんであり、
24時間テレビそのものがダメというより、年に一回24時間テレビで障害者を描いた感動もののドラマを作ったくらいで、障害者のために作りました!募金も集めました!みたいな顔してっから、批判されるんじゃねぇの、と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

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