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制度のための制度じゃなくて、動物としての機能に合わせてもいいんじゃないか? [ニュース読んでみて]

2016年12月28日のデイリー新潮、「女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか 『自由』になった古舘伊知郎さんが目を惹きつけられた記述は?」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・人間は類人猿として考えると「一夫一妻」のテナガザルや「一夫多妻」のゴリラよりも、「乱婚」のボノボに近い
・現在多くの国で採用されている「一夫一妻」制は社会的な制度に過ぎない
・旧石器時代はそこらを肉食獣が歩いていたのに、女性がエクスタシーに達する時に声を出すのは危険で、不自然
・しかし「乱婚」の動物として考えると、声を出すのは周囲の男性を興奮させ、多くの個体の精子を競争させるため、という説明ができる


わははははは。


最初の印象としては、なるほどなぁ、と。その理由であれば、確かに声を出すことに必然性があるかもしれないなぁ、なんて。
もう一つの印象としては、なんつーのかな、新しい家庭の、家族の形みたいなことのヒントになるんじゃないか、なんて。

つまり、一夫一妻制の結婚というものがもう、終わってるんじゃないかということはもういろんなとこで言われてるじゃないですか。日本人の未婚率は上がってるし、結婚しないという男女も増えてるし、結果日本の人口はみるみる減ってるし。

俺は社会学者とかではないので正確には分かりませんけど、ま、昔は一夫一妻のメリットが大きかったんでしょう。そのメリットが大きいから、社会的に結婚・・・つまり男1、女1というつがいを作る・・・ことが奨励され、まぁ、それに合わせていろいろ社会的なシステムが作られていったんでしょう。

が、今一夫一妻制にそこまでのメリットがない、と。結婚はコスパが悪い、なんて意見もあるそうですが、その意見はメリットが無いという意見の最たるものでしょう。

そう考えるとさ、結婚結婚と、旧来のシステムにしがみついているばかりではダメで、新しいシステムを考えなければいけないんじゃいけないんじゃないかと思うんです。

別にさぁ、現代は家を、名前を残さなきゃいけないみたいなプレッシャーがある家なんてほぼないし、血統を残さなきゃ、なんて人あんまりいないでしょ。結婚とは家と家の結びつき、とかさぁ。いないよ、そんなん。超・上流階級の人とかなら知らんけども。


それで言ったら、もう、乱婚でいいんじゃないかって気はするな。もともとの生物としての人間の本能に従って、システムを組みなおした方がいいんじゃないか。


だからまぁ、分かんないですけど、例えばテラスハウスみたく、男女何人かで一つの家をシェアしている人たちがいます、と。その家に住んでる人は、全員婚姻関係。例えば男4人に女4人とかで住んでたとしたら、その8人が全員婚姻関係。男Aと女Aが夫婦、みたいなことではなく。
なんで、今日は男Aと女Aがセックスをしました、明日は男Aと女Bがセッ〇スをしました、みたいなことがあったとしても、不貞行為ではない。だって全員が婚姻関係なんだもの。で、そこで生まれた子どもはその家の子ども。どのカップルの子ども、とかではなく。


・・・みたいな。


・・・まぁ、言ってて相当無理があるな、という、自覚はあります(笑)


メリットとしちゃぁ、まぁ子育てがしやすくなったりはするんじゃないかなぁ。順番で誰かが家にいるような形にすれば、一人で面倒見なくても誰かが面倒みてくれる、とかさ。
ある程度経済的なメリットもあるでしょう、病気で倒れたりした時も、自分以外に働き手が何人もいるわけだし。
賑やかなのが好きな人は、帰ったらたくさん人がいるのは嬉しいんじゃない?
セッ〇スの面からしても、男女お互いに違うパートナーと楽しんでも文句は言われないわけだし(笑)

デメリットというか、問題はいくらでも思いつくでしょう、戸籍をどうするのかとか、子どもの権利はどうなるのかとか、離婚・・・というか、その「家」を出ていきたくなったらどうすんだ、とか・・・
とは言え、その辺のことって結局現行の制度とぶつかる、ってだけのことで。人間という動物の本能に反しているのかどうかは、分かんないよなぁ、とも思うわけです。


結婚という制度ではもう社会が回らなくなってきていて、
結局結婚なんか人間が社会生活を営む上で作ってきた制度に過ぎないわけで、
もうなんかいろいろ限界にきてんじゃねーの?
そう考えたときに、結婚とかにかわる新しい制度って、
人間の本能というか、動物としての本能に沿った制度にすべきで、
そうなるとこの乱婚の動物だってのは結構ヒントになるんじゃないかなぁ。

と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

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2017年明けましておめでとうございます [イラス・・・ト?]

まー今年はなんだか遅くなっちゃったので、別に年明けのイラストとかはどうでもいいかと思ってたんですが、
なんかよくよく見たらこないだの更新200本目じゃないか!と、あとから気づき。
じゃ、ちょっと記念ぽいことでもやろうかと思って、ヘタクソなイラストを描きました(笑)

しかもさほどめでたい感じのイラストでもないしね!酉に引っ張られ過ぎた!

comic1.png


・・・まぁ、今年もよろしくお願いします(笑)

よし、今日は、寝よ。

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乗蓮寺と、それをたたいている人と、どっちが「差別的」「不寛容」か?という話。 [ニュース読んでみて]

明けましておめでとうございます。
年末年始は相当堕落しましたが(笑)また頑張って更新していきますので、よろしくお願いします~(*^-^*)

1月5日のJ-Castニュース、「初詣『ベビーカー自粛』要請で大騒ぎ 『差別』批判へ寺側の意外な言い分」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・東京板橋区の乗蓮寺が、初詣の際に「ベビーカー自粛のお願い」を出した
・ツイッターから写真が拡散し、「赤ちゃんがかわいそうだから自粛は当然」「赤ちゃんを持つ親に不親切な寺だ」と大論争に
・擁護論もあるものの、大半は「差別だ」「肩身の狭い不寛容な社会だ」といった批判
・乗蓮寺は、去年までベビーカー優先の参拝システムを取っていたが、マナーの悪い参拝客によってもめ事やけが人が出たために、警察の要請もあってベビーカー自粛としていた


ふーん。


ま、俺が思ったのは、乗蓮寺と、脊髄反射のように批判している人と、どっちが差別的で不寛容かな、ということで。

あの、なんつーのかな、寛容な社会って何?と思うんですよね、俺。

もちろん理想として、全ての人が平等に、同じことができて、同じ感動を味わえる、みたいなことがあるのは分かります。し、まぁバリアフリーとかでそういうことを目指すことはとても重要なことだとも思います。例えばベビーカーだったり、車いすの人が道を通りやすいように段差じゃなくてスロープをつける、とかね。


ただ、それはあくまでも理想であって。


どちらかというと、システムとか仕組みどうこうでなく、相手というか、他者のことを「思いやる」ことの方が重要なんじゃないかと思うわけです。

例えば、混雑した駅の中に、ベビーカーを押す親がいるとしましょう。
ま、この先バリアフリーがどんどん進み、駅自体がベビーカーが通りやすい構造になったとしても、ベビーカーを押した親が、その他のベビーカーを押していない人々と全く同じような動きができるようにはならないでしょうよ。
やっぱり動きは鈍いし、小回りは効かないし、ってのはそれはそうでしょう。その状態ってのは、ものすごくいやな言い方をすれば、「迷惑」なわけです。

そっから先重要なのは、そのベビーカーを押してる親を「迷惑」と思うか、「ベビーカー押して大変だな」とか、「こんな混んでいる時間帯にわざわざベビーカーで駅に来るなんて、よほどの事情があるに違いない」とか、「この先の階段は上がるのが大変だから手伝ってあげよう」とか、そーゆーことが考えられるかどうか、大変な思いしている人を思いやれるかどうか、でしょう。どーしたってベビーカー押してる親と、そうでない人との機動力の差が0にはならないんだからさ。


で、ね。


つまり何が言いたいかというと、今回乗蓮寺を批判した人たちは、思いやってますか?ってことなんです。
確かに乗蓮寺側が出した看板についても、ちょっと配慮が足りなかったかもしれない。もう少しベビーカーを利用した迷惑な参拝客であったり、それによってけがをしそうになった人が出たとか書けばね、もしかするとこうした騒ぎにならなかったかもしれませんよ。そういう意味では、乗蓮寺側も思いやりが足りない部分があったのかもしれません。

が、明らかに批判している人たちの方が、思いやりが足りないよね、と思うわけです。
その、今回の騒動で批判している人たちが、

・なんでわざわざこんな看板を出したのか?
・こんな叩かれるような看板を出したのは、何かよほどの事情があるのではないか?
・お寺が出したということは何か深い意味があるんだろうか?
とかさ。例えばですけどね。
そーゆー風に、思いやりましたか、という話。

あるいは、乗蓮寺がベビーカーでの参拝を援助していたのを知っている人であれば、
・去年までベビーカー優先してたのに、どうしたんだろう?
・何か事故でもあったのかな?
とか、その辺まで思ったかもしれない。
そーゆー思いが、毛の先ほどでもありましたか、ということなんです。

思いやりを持って見た結果、それでもやっぱり気に食わないっつーんならそれはまぁそれですけど。でもまぁ、思ってないでしょ、反射的に批判してるんだろうなぁ、って気はするね。

今回の乗蓮寺はベビーカーに乗った参拝を援助してて、でも援助しきれなくなって自粛をお願いして、っていうお寺ですけど。
もちろんベビーカーを押している人も、そうでない人も気持ちよく参拝できるのが理想ではありますけど、それができなかったのは単にシステムや仕組みの限界であって、不寛容とは違うと思うんだよなぁ。
逆にあえてベビーカーや車いすの人をはじき出すようなシステムがあったとすれば、それは不寛容だと思いますけど。
不寛容って意味では、乗蓮寺の事情も考えず、脊髄反射的に叩きまくるような「思いやりの無さ」が「不寛容」って言うんじゃない?と思うんです。


ちなみに、ですが。


記事に出てきたような、ベビーカー参拝を援助するような乗蓮寺の思いやりを逆手にとって何人もいっぺんに参拝したり、他の参拝客に迷惑をかけたりするような連中は。

ま、こちらもこちらで相当思いやりがないですね~。
そう考えると、今回乗蓮寺をたたいている人と、ベビーカーで迷惑な参拝をしている人ってのは、ベクトルは多少違えど、似た者同士なんじゃないかな~、って気もしますな(笑)


もちろんバリアフリー等々のシステムや仕組みが充実していくのを批判する要素はないけども、それによって100%の人が100%の満足を得るってのはどう考えても不可能でしょう。
システムや仕組みが整っていない社会が「差別的」「不寛容」なのではなく、「思いやり」がない社会が「差別的」「不寛容」なのではないか。
そう考えると、今回「乗蓮寺の事情も考えずに騒いで、叩きまくってる連中」からは、まぁ相当「思いやり」を感じない。
ってことは、「乗蓮寺の事情も考えずに騒いで、叩きまくってる連中」こそが、「差別的」で「不寛容」なんじゃないか。ついでに、「乗蓮寺の厚意を逆手に取った迷惑な参拝客」も「思いやり」を感じないけど(笑)
と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

comic1.png

久しぶりの、結構ストレートなダークなちい(笑)
キャラクター紹介みてもらえればわかりますが、もともとこーゆー子です(笑)

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