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トーチャーコリンズ症候群とかの見た目問題って、半生を見て勇気もらったとか言ってる人らにもあると思うんだけど、どうだろう [ニュース読んでみて]

4月20日のwithnews、「『見た目問題』ネットで反響、本人の思いは…『そういう反応は覚悟』」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・トリーチャーコリンズ症候群という疾患を持って生まれた石田さんの、半生を振り返った記事に対する反応と、石田さんの考えをまとめた記事
・石田さんの前向きな姿に、「尊敬する」「自分の悩みがちっぽけだと思った」「勇気をもらった」といった声が集まった
・「写真に驚いた」「街であったら見てしまう」という反応に加え、一部では中傷の声も
・石田さんは大学で障害に関する教育の研究をしており、「僕だからこそ、子どもたちのためにできることがある」


うーん。


えーと、まず前提として、この石田さんがこうして取材に応じたことは俺は素晴らしいことだと思います。

記事の写真を見てもらえば、トリーチャーコリンズ症候群にかかった人がどういった顔になるかが分かります。

正直に言って、俺はこの記事を読んだうえでも、街中で会ったらうわっ、てなっちゃうと思います。それを差別だと言われてしまうとそうなのかも知れないけど、多分、そうなる。

この石田さんと友達になったりして、何回も顔つき合わせたら違うと思いますけどね。いい悪いを別にしたとしても、うわっ、となるのは俺自身の自然な反応として、なっちゃうと思う。

もちろん石田さんが悪いわけでは全然ないのだけど、どうしても初めて見たときには驚いてしまう人が多いであろう顔の人が、こうしてメディアに出るということはすごいことだと思います。

同じ病気の人に勇気を与えるかもしれないし、トーチャーコリンズ症候群への世間の理解が深まるかもしれない。とても意義のあることだと思っております。

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で。


中傷する人がいるってのは問題外としても、勇気をもらったとか、素晴らしい人だ、みたいな評価もちょっと違うのではないかな~、と思います。

石田さんがメディアに出た、というのは素晴らしいことだし意義のあることだと思うけど、石田さんの半生を見て勇気をもらったとか、素晴らしい人だ、というのは違和感がある、ということです。

記事の中では、見たら驚いてしまうかも、という意見と、中傷する人がいた、ということを同列に並べてるかんじでしたが、

ベクトルとして中傷に近いのは、勇気をもらった、とか言ってる方が近いんじゃないかと思うわけです。

記事の中で石田さんも言ってますが、石田さんはトーチャーコリンズ症候群を抱えてる以外は、普通の人。偉大な業績を残したとか、そーゆーワケではない。

普通の人の普通の半生を見て、勇気をもらっただの、尊敬するだの、中傷するだのというのは、そもそも相手を対等に見てないと思うんです。

もちろん、俺には想像できない悩みとかあると思いますし、俺が同じ境遇になったときに石田さんのように前向きになれるかは分からない。

ただ、逆に石田さんが俺と同じ境遇になったときに、俺と同じように前向きになれるかは分かんない、とも言えますよね。俺にだってそれなりに悩みはありますし。

俺の悩みより、トーチャーコリンズ症候群を抱えてる悩みの方が、前向きになるためのハードルは高いだろうけど、でも前向きに生きるって人らしく生きるための最初の一歩なわけで。

病気を抱えてるからって中傷するなんてーのはもちろん下の下だけども、逆に病気抱えてるのに前向きに生きてるから素晴らしいね、なんてーのもそれはそれでどうかと思う、んです。


念のためですけど、ケッ、この石田って野郎、珍しい病気持ってるからって大したことねーのにチヤホヤされやがって、なんて言いたいワケじゃないですよ。

石田さんがメディアにでることは、トーチャーコリンズ症候群を世間が認知するって意味で意義があると思うし、

かと言って石田さんにはわざわざ晒し者になってトーチャーコリンズ症候群を周知する義務なんかないわけだから、それはすごいことをしてるなぁ、と思います。

それに対する世間の反応として、普通の人である石田さんの半生を見て、尊敬しますだの言うのは違うんじゃないか、という話。


自己弁護するわけでは無いですが、顔を見て驚いてしまうのはある程度仕方ないのではないかと思います。

もちろん驚かれて傷ついたりする可能性もありますから、驚かないなら驚かない方がいい。それは分かる。

ただ、顔を見て驚いたからと言って、トーチャーコリンズ症候群を持ってる人を差別してるかというと、それは必ずしもイコールとは限らない。

石田さんの友達で、最初顔見たときはびっくりしたけど、話したら良いやつだったから友達になった、って人もいると思うんだよな。

そーゆー意味では、もちろん顔を見て驚かないにこしたことはないものの、顔を見ちゃうとか驚いちゃうというのは差別とかの問題の本質ではないんじゃないかと思うわけです。

この記事を読んで、トーチャーコリンズ症候群の人を見て驚かなくなったとしても、別の病気の人を見て驚いたり、ケガした人を見て驚いたりする可能性はあるでしょう。そんなこと言い出したらキリがねぇと思うんだよな。

俺なんか、街中で身長高くてデカイ人見ただけでビックリしますからね。うわ、デカイ!なんつって。いや、声には出しませんけど。


トーチャーコリンズ症候群であったりの、見た目が他多数の人とかけ離れてしまうタイプの病気、あるいはケガで見た目が変わってしまった人をみて、


驚いたり、奇異の目を向けたり、そういったことが無いに越したことはない。


ただ、見た瞬間の驚きなんかは、ある程度生物の反応としてしょうがないんじゃなかろうか。見た目が原因で友達付き合いができない、いじめる、とかでない限り、差別問題として扱うのはちょっと違う気がする。


むしろ、見た目が原因で中傷するようなバカはもちろんのこと、


石田さんのような普通の人の半生を見て、尊敬するとか感動したとかいうやつの方が、


病気があるのに、普通に生きられるなんてスゴイ、みたいな、病気を持っていること自体を一段下に見ているような気がして、


中傷しているバカと同様、こっちのがよっぽど差別的なんじゃなかろうか、


と、思った、という話です。



はーぁ、寝よ。

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