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トーチャーコリンズ症候群とかの見た目問題って、半生を見て勇気もらったとか言ってる人らにもあると思うんだけど、どうだろう [ニュース読んでみて]

4月20日のwithnews、「『見た目問題』ネットで反響、本人の思いは…『そういう反応は覚悟』」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・トリーチャーコリンズ症候群という疾患を持って生まれた石田さんの、半生を振り返った記事に対する反応と、石田さんの考えをまとめた記事
・石田さんの前向きな姿に、「尊敬する」「自分の悩みがちっぽけだと思った」「勇気をもらった」といった声が集まった
・「写真に驚いた」「街であったら見てしまう」という反応に加え、一部では中傷の声も
・石田さんは大学で障害に関する教育の研究をしており、「僕だからこそ、子どもたちのためにできることがある」


うーん。


えーと、まず前提として、この石田さんがこうして取材に応じたことは俺は素晴らしいことだと思います。

記事の写真を見てもらえば、トリーチャーコリンズ症候群にかかった人がどういった顔になるかが分かります。

正直に言って、俺はこの記事を読んだうえでも、街中で会ったらうわっ、てなっちゃうと思います。それを差別だと言われてしまうとそうなのかも知れないけど、多分、そうなる。

この石田さんと友達になったりして、何回も顔つき合わせたら違うと思いますけどね。いい悪いを別にしたとしても、うわっ、となるのは俺自身の自然な反応として、なっちゃうと思う。

もちろん石田さんが悪いわけでは全然ないのだけど、どうしても初めて見たときには驚いてしまう人が多いであろう顔の人が、こうしてメディアに出るということはすごいことだと思います。

同じ病気の人に勇気を与えるかもしれないし、トーチャーコリンズ症候群への世間の理解が深まるかもしれない。とても意義のあることだと思っております。

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で。


中傷する人がいるってのは問題外としても、勇気をもらったとか、素晴らしい人だ、みたいな評価もちょっと違うのではないかな~、と思います。

石田さんがメディアに出た、というのは素晴らしいことだし意義のあることだと思うけど、石田さんの半生を見て勇気をもらったとか、素晴らしい人だ、というのは違和感がある、ということです。

記事の中では、見たら驚いてしまうかも、という意見と、中傷する人がいた、ということを同列に並べてるかんじでしたが、

ベクトルとして中傷に近いのは、勇気をもらった、とか言ってる方が近いんじゃないかと思うわけです。

記事の中で石田さんも言ってますが、石田さんはトーチャーコリンズ症候群を抱えてる以外は、普通の人。偉大な業績を残したとか、そーゆーワケではない。

普通の人の普通の半生を見て、勇気をもらっただの、尊敬するだの、中傷するだのというのは、そもそも相手を対等に見てないと思うんです。

もちろん、俺には想像できない悩みとかあると思いますし、俺が同じ境遇になったときに石田さんのように前向きになれるかは分からない。

ただ、逆に石田さんが俺と同じ境遇になったときに、俺と同じように前向きになれるかは分かんない、とも言えますよね。俺にだってそれなりに悩みはありますし。

俺の悩みより、トーチャーコリンズ症候群を抱えてる悩みの方が、前向きになるためのハードルは高いだろうけど、でも前向きに生きるって人らしく生きるための最初の一歩なわけで。

病気を抱えてるからって中傷するなんてーのはもちろん下の下だけども、逆に病気抱えてるのに前向きに生きてるから素晴らしいね、なんてーのもそれはそれでどうかと思う、んです。


念のためですけど、ケッ、この石田って野郎、珍しい病気持ってるからって大したことねーのにチヤホヤされやがって、なんて言いたいワケじゃないですよ。

石田さんがメディアにでることは、トーチャーコリンズ症候群を世間が認知するって意味で意義があると思うし、

かと言って石田さんにはわざわざ晒し者になってトーチャーコリンズ症候群を周知する義務なんかないわけだから、それはすごいことをしてるなぁ、と思います。

それに対する世間の反応として、普通の人である石田さんの半生を見て、尊敬しますだの言うのは違うんじゃないか、という話。


自己弁護するわけでは無いですが、顔を見て驚いてしまうのはある程度仕方ないのではないかと思います。

もちろん驚かれて傷ついたりする可能性もありますから、驚かないなら驚かない方がいい。それは分かる。

ただ、顔を見て驚いたからと言って、トーチャーコリンズ症候群を持ってる人を差別してるかというと、それは必ずしもイコールとは限らない。

石田さんの友達で、最初顔見たときはびっくりしたけど、話したら良いやつだったから友達になった、って人もいると思うんだよな。

そーゆー意味では、もちろん顔を見て驚かないにこしたことはないものの、顔を見ちゃうとか驚いちゃうというのは差別とかの問題の本質ではないんじゃないかと思うわけです。

この記事を読んで、トーチャーコリンズ症候群の人を見て驚かなくなったとしても、別の病気の人を見て驚いたり、ケガした人を見て驚いたりする可能性はあるでしょう。そんなこと言い出したらキリがねぇと思うんだよな。

俺なんか、街中で身長高くてデカイ人見ただけでビックリしますからね。うわ、デカイ!なんつって。いや、声には出しませんけど。


トーチャーコリンズ症候群であったりの、見た目が他多数の人とかけ離れてしまうタイプの病気、あるいはケガで見た目が変わってしまった人をみて、


驚いたり、奇異の目を向けたり、そういったことが無いに越したことはない。


ただ、見た瞬間の驚きなんかは、ある程度生物の反応としてしょうがないんじゃなかろうか。見た目が原因で友達付き合いができない、いじめる、とかでない限り、差別問題として扱うのはちょっと違う気がする。


むしろ、見た目が原因で中傷するようなバカはもちろんのこと、


石田さんのような普通の人の半生を見て、尊敬するとか感動したとかいうやつの方が、


病気があるのに、普通に生きられるなんてスゴイ、みたいな、病気を持っていること自体を一段下に見ているような気がして、


中傷しているバカと同様、こっちのがよっぽど差別的なんじゃなかろうか、


と、思った、という話です。



はーぁ、寝よ。

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男を捕食するような女が出てきたとしても、俺みたいなんは捕食されない [ニュース読んでみて]

4月4日のダイヤモンドオンライン、「エリート男喰い日記『暇な女子大生』がバカ受けする訳」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・出会い系サイトで出会った男性と毎日のようにデートやセッ〇スをし、その様子をツイッターに投稿する「暇な女子大生」というアカウントがある
・本来なら炎上してもおかしくないような内容だが、フォロワーは14万人に迫り、エピゴーネン(追従者)も出てきている
・今までの社会では、セッ〇スにおいては男性が女性を「喰う」「ヤリ捨てる」という男性優位の構造だったが、「暇な女子大生」の場合捕食者は女性であり、そこが新しい
・ある意味で「暇な女子大生」の活動は権力闘争であり、今はまだ日本社会に生まれた小さな歪みに過ぎないが、もしかすると時代の転換点になるかもしれない


・・・・・・ふーん。


まぁ、内容にはいろいろ感想あるでしょう。そんな大げさなもんじゃない、しょうもないツイートに大騒ぎすんなとか、なんつー下品なツイートだ、この「暇な女子大生」つーのはバカかとか、いいぞもっとやれ、とか。

俺としては、ツイートの文章とか、これを権力闘争と位置付けること自体には別に興味ないんですが、まぁ、この記事を読んでの絶望の深さといったら(笑)
つまり、女性の力が増し、男性を捕食するような女性が出てきたときに、まずターゲットになるのが「高学歴」男性である、ということ。この、何のステータスもない、モテない男の居場所のなさ、ね(笑)

まぁ、この「暇な女子大生」の性癖(設定?)として高学歴男性が好き、というのもあるでしょう。権力闘争だとすれば力のある(高学歴な)男性を次々喰っていく女子大生、という構図にしたからここまでウケた、という面もあるのかなぁ。

男性側で考えれば、例えばモデルやら女優やらを抱いたとかね、まぁ高学歴とかセレブな女性、とかでもいいんだけど、そういうステータスに惹かれて抱いたり喰ったりする男もいるわけですから、「暇な女子大生」が高学歴男性を次々に喰う、というのもまぁそんなかんじなんでしょう。
ただこう、感覚的に、この先こういう捕食する側の女子が増えてきたとしても、結局は高学歴とか高収入とかの、力のある男の奪い合いになるだけで、底辺が広がっていくわけではないだろうなぁ、と思うわけです。

あ、なんもしないでモテたい、なんて言いたいわけじゃないですよ、理想はそれですけど(笑)捕食者側の女性が増えたとしても、モテない男にチャンスが増える、とかではなくただただ格差が広がっていくのだろうなぁ、という話。


なんかで見ましたけど、見た目がいい女性と悪い女性では生涯年収に差が出るくらい格差があるらしい、と。でも実は一番冷遇されているのは見た目の悪い女性よりも見た目の悪い男性である、と。そんな現実があるそうです。


見た目がいい=モテる、とは限らないだろうけど、まぁ結局のところ見た目が悪く、学歴もなく、モテもしないような男に社会は冷たいんだろうな、と。

社会が変化し、女性も変化し、男性を喰うような女性が出てきたとしても、見た目が悪く、学歴もなく、モテもしないような男は、結局のところ何の価値もないのだなぁ、と。

様々な生き方が認められると言われてますよ。例えば結婚しない選択とか、恋愛しなくてもいいじゃないとか、休日返上で働くなんて古いとかね、いろいろ勝手なこと言いますけど。見た目がいいとか、高学歴とか、女にモテるとか、その辺の旧時代の価値を何がしか持ってないと、結局社会からはじかれるんじゃないか、と。いい加減なことばっか言いやがって。


この記事を見て、社会が変わるのかもしれないと思っても、変わったところで少なくとも今のままの俺が入り込む隙間なんぞ1mmもねーじゃねーか、と。
それで言ったら、せめて大金でも掴まないことにはマジで社会に入っていけないなぁ、と思うわけです、俺なんかは。まともな人生なんか歩めないよ。それでいいっつーんならそれでいいんでしょうけど、結構肩肘張って生きなきゃいけない生き方のような気も、するなぁ。


多様な価値観を認めるなんて、大嘘!結局学歴なり、金なり、モテるなりで力を得ないことには、少なくともこの社会の中で何の価値もない人間として生きるしかないんだ!!そうじゃなきゃ、もう野生児として自然の中で生きてくしかねーんだろうな!!!


・・・・・・なんだろう、今日はずいぶん、暗いな(笑)


はーぁ、寝よ。

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「優しいけどちょっとやんちゃなお父さんと、人情警官のやり取り」が、ニュースになるんだね、バカみたい [ニュース読んでみて]

2月16日のJ-CASTニュース、「警察が5歳児を補導、何をしでかしたのか」という記事です。

記事を無理にまとめると、こんなかんじ。
・ポケットバイクで公道を走るのは危険だとして、山梨県警が5歳児を補導した
・ポケバイでは行動を走ることはできず、付近の住民からの通報で警察が一緒にいた父親に事情を聞き、口頭で注意した
・ネット上では、「子どもがかわいそう」「補導はやりすぎでは」といった声が
・警察は、「補導は注意と同じと考えている、児相に通報もしない」とコメント


うーん。いや、うーん。


いや、父親が悪くないとは言いませんけどね。
そんな新聞記事にしたり、ネット上で大騒ぎするほどの問題か?俺が見た時点(2月17日午前9:00)で、ヤフーニュースの国内で2位なんですけど。そんなになるほどの問題か?これ。

記事の中には未就学児が補導されるケースは珍しいって書いてあったから、まぁ珍しいという意味でニュースになることはあるかもしれませんけど。そんな、子どもがかわいそうすぎるとか、ルールは守りましょうとか、そんなギャースカピースカ騒ぐほどのことじゃないでしょう、これ。

これが例えば、公道っつって交通量が多くて車がビュンビュン走ってる国道を、父親がそばで見守ることもせず、子どもが一人でフラフラポケットバイクで走ってた、とかならね、父親が逮捕されてもしょうがないと思うし、子どもがかわいそうだ、って批判がどんどん集まるのはそれはそうだと思うんです。

でも、このニュースを見る限りでは・・・まぁ、補導されたときの詳しい状況が分からないので、あんまり想像でなんか言うことは避けたいんですけど・・・つまり、ポケットバイクで走っていた子どもと父親が一緒にいた、人けのないところを選んで練習していた、警察も父親に口頭注意で済ませた、子どもを補導したとはいえ警察としては注意と同じと考えている、ということを考えた時に。

息子をレーサーにしたくって、
ポケットバイクでその辺ちょろちょろ走るのはあんまりいいことじゃないとは知りつつも、
人けのない、安全な場所を選び、
自分の目の届く範囲で、安全な範囲で息子に練習させ、
そこをたまたま目撃され、通報され、
現場に来た警官も、父親が一緒で、安全にも気ぃ使ってるのは分かったけど、
一応ポケットバイクは公道を走れないものだから、今後気をつけてね、と注意した、
ってくらいの話でしょ、多分。

分かんないけど、記事の中では子どもはポケットバイクの扱いに慣れていた、って書いてありましたから、初めてそこでポケットバイクの練習をしたんじゃないでしょう。
少なくとも子どもがポケットバイクの扱いに慣れるくらいの期間、特に通報されたとか、事故起こしたとか、そーゆーことがないわけだから、公道でポケットバイクに乗っていたことは悪いことだけど、それなりに安全に気を使ってもいたんだろう、と思うわけ。警察も、そこまで悪質じゃないと判断したから、注意で済ませたんだろうしね。

そーれーをーさぁ、やれ子どもがかわいそうだの、ルールを守れだの、警察は何やってんだだの、よってたかって大騒ぎするってのは、正直どーかしてると思いますけどね。警察が注意して、それで済んだ話でしょう、これ。ヒマなのかな?

記事の最後の方にある、ポケットバイクはチューニングすれば時速100kmは出る、って表記も、コレ悪意を感じるよな~・・・今回補導された子どもが100km出してたわけじゃないでしょ、恐らく。100km出してたらそう書くだろうからね。レースの話でしょ、100km出すって。5歳児が出るレースでそーゆーチューニングをしてもいいルールなのか、も分かんないしね。でもこれを見て、そんな危険なものに子どもを乗せて、公道を走らせるなんて!と考えて騒ぐ人が出るだろうし、それが狙いなんだろうなぁ。


父親が悪くないとは言わないけど、

状況を見る限りではお父さんは子どもの安全を考えたうえで、ポケットバイクの練習をさせてたんでしょう。

警察としちゃ通報されたし、安全に気ぃ使ってはいるものの、何にもしないわけにはいかないから注意をした、んだと思うんです。

で、その注意でもう済んだ話でしょう。

たったそんだけの話を、

新聞記事にしたり、ネットニュースで流したり、

やれ親がダメすぎるだの子どもがかわいそうだの、

ギャーギャーギャーギャー騒いでる日本人って、

病んでるんだか、ヒマなんだか・・・


と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

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犯罪じゃないとは言わないけど、犯罪と犯罪じゃないの線引きが分からん、という話 [ニュース読んでみて]

2月9日の朝日新聞デジタル、「キャンプ旅行で児童ポルノか 子ども気付かず『楽しい』」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・子ども向けのキャンプ等を企画する会社に勤める男が、添乗員として行った旅行先で男児にわいせつな行為をした
・就寝中を狙ったり、薬を塗るふりをしてわいせつな行為を行い、撮影もしていた
・家庭教師をしている男が教え子にわいせつな行為を行うケースも
・元小学校教諭が自宅マンションに男児を連れ込み、入浴シーンを撮影するケースも


うーん。


その、家庭教師のこととか、自宅マンションに連れ込んだ事例ではどうなのか知りませんけど、キャンプの事例に関しては子どもは被害に気付かないで、親に楽しい旅行だった、と伝えたりしているらしいんですね。

記事を見る限りだと、被害に気付かないように男児にわいせつな行為をするなんて、なんて卑劣な、みたいな感情が隠れてるのかな、という感じなんですけど。

俺が思ったのは、そうなってくると、子どもたちを愛でるのと、犯罪の線引きってどこですんの?と、思うんですよね。

もちろん、実害があれば話は別ですよ。今回撮影された動画が、(俺を含めた9割以上の人がわいせつとは認識しないとしても)わいせつな動画としてネットにアップされるとか、いたずらされた子どもに深刻なトラウマが残るとかね。そんなもんは速攻逮捕して罰を受けろ、と思いますよ。

ただ、今回の旅行の件に関しては、少なくともほとんどの子どもが楽しい旅行だったと認識してるわけでしょう。

そうなるとさ、頭ン中で考えてることはともかくとして、やってることは子どもが大好きで、子どもたちの喜ぶ顔が見たくって、一生懸命旅行の企画を考えてる人、と変わんないですよね。

子どもの写真持ってたから犯罪?じゃ、会社のホームページに載せたりするために子どもたちが遊んでいるところを写真に撮って、でも全部を掲載できるわけじゃないから使わなかった写真が自分のパソコンの中に入ってるけど、その写真データは消去しないで、ネット上にアップしたりはしないでけどたまに見返してまたこんな笑顔が見たいなぁと明日の仕事への活力としている、子どもの笑顔が本当に好きな人、との線引きは?

子どもに気付かれないように写真撮ってたから犯罪?集合写真とかならともかく、子どもが全力で遊んでるところを写真撮ったら、大体の子どもは気付かないと思うけど?自然な姿を撮りたいから、カメラを意識しないようにして写真を撮る、とかって場合もあるだろうに。


・・・とか、さ。

別に今回逮捕された人を許してやれ、と言ってるんじゃないですよ。
結果的に子どもたちが喜んでいる、というのなら、今回の件が犯罪とされたその線引きは一体どこにあるんだろう、と思って。

ただの子ども好きが、犯罪者にされてしまう危険性はないのか、ということ。と、ただただ不安を煽る記事じゃなくて、普通の子ども好きならこうなんだろうけど、今回のケースはこういうことをしていたから法律上は犯罪になった、とか、もう少し建設的な記事にはならんかいな、と。思うんですよね~。

今回はトラウマにならなかったからいいようなものの、こんなヤツをほっといたらいつ傷つく子どもが出てくるかわからない!という考え方もあるとは思いますけど。
じゃぁ、今後子どもを傷つけるヤツと、そうでないヤツの線引きは?とも、思うし。


そんでまぁ、正直なところ。


性癖として、まぁいたのはいたんだと思うんですよ、昔っから。つまり、男児に性的な目を向ける成人男性、という。
そういう旅行会社とか、家庭教師とか、教員の中にもいたんじゃない?そーゆー性癖の持ち主って。昔っから。

多分最近急に出てきたわけじゃないと思うんですよ。今ってその、スマホとかの普及でだれでも簡単に写真が撮れるし、残せるからね。怪しい動きをしてたから家に踏み込んでパソコン見たら今まで撮った写真がどわーっと・・・みたいなことがありえるもんね、普通に。

昔だったら、写真とかは残せないから、男児が寝てる間に気付かれないようちょっとした性的イタズラをして、そのことを誰にも知られないままその思い出を胸に生きていく、みたいなやつが、いなかったってーことはないと思うんだよなぁ。

そーなるとさ、犯罪か、犯罪じゃないかの差って、写真をデータとして残してたかどうかなわけ?・・・と、思うんですよね。


なんかその、男性保育士が女の子のオムツを替えるのはイヤ、みたいな人もいるそうですが、もうさ、感情でその辺の話すんのやめない?と、思うんですよ。

や、本来は感情の話だと思いますよ。本人がどんな性癖を持ってるかは知らないけど、ちゃんと信頼関係が保育士とできていれば、子どもを旅行に連れてくのだってオムツ替えるのだって別に任せていい話でしょ。めちゃくちゃロリコンだったとしても、そのまま50年とか信頼されて誰にもバレずにその性癖を墓まで持ってけば、それはもはやいい保育士でしょ。

それが、感情として受け入れられない、という人がたくさん出てくるのなら、もう科学的にというか、データとしてとか、数値として出すしかないじゃない。
例えば女児のオムツを替えるときに、脳のこの部分が活性化するヤツは小児性愛者だ、とかさ。男児が裸で走り回ってるのを見たときに、脳のこの部分の温度が上がるってことは、この先男児にイタズラする可能性が高い、とかさ。

脳波とか全部チェックしてさ、小児性愛者のケが100%無い、と診断された人だけ保育士とか、小学校教諭の職に就けるようにしたらいいんじゃないのかな。そこまでする必要があるのか?って話もあるだろうけど、そうでもしなきゃ解決しねーじゃん、マスコミは解決なんか考えてないよ、マスコミ自体は不安をあおってれば商売になるのかもしれないけどさ。


子どもがいる親としては不安になるのかもしれないけど、

不安だ~、不安だ~っつったってなんも解決しねーだろうに

保育士とか旅行業者だって、人間なんだからそりゃ気持ちよく仕事したいでしょうよ。

任せると決めたら、任す!

万一記事の中に出てくるような変なのに当たっちゃったら、子どもを守るために徹底的に戦う!

そうじゃないなら、脳波とかを徹底的に調べて数値的に100%心配ない人に預ける、とかしかないと思うけど。

それができないなら、覚悟決めて預けるか、覚悟決めて誰の手も借りずに育てるか、しかねーんじゃないの?

不安だ~、不安だ~って、マスコミに踊らされてるだけじゃなんにも解決しないんだからさ。

と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

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アイドルが夢のある仕事、みたいな風潮もそれはそれでおかしいよね [ニュース読んでみて]

1月30日の東洋経済オンライン、「不振のAV業界で彼女たちに起こっていること」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・AV出演を強要されることが問題になっているが、一方で「有名になりたくてAV女優になった」「親も応援してくれている」という女の子もいる
・AVが売れなくなっている現代、女優が様々なメディアに露出して知名度を上げることも重要
・「バレずに稼ぐ」が成り立たなくなっており、親の応援は必須かもしれない
・AV女優が「やりたくない仕事」「エッチな仕事」から、「表現者」へと変化しつつある


ははーん。


その、俺が思ったのは、AV女優になることを親が応援してくれてるとか、成功するとアイドル的な存在になれるとか、AV女優という存在の地位が上がってきた、みたいな書き方をしてますが、そもそもアイドルとAV女優って、根っこというか底辺の部分は一緒だったんじゃね?と、思うんですよね~。

たまたまテレビとかでAKBやらが人気なのでアイドルは上でAV女優は下、みたいになってますが。

売り方にセッ〇スが色濃く入ってるか入ってないかの差だけで、単純に濃度の違いだけのような気もする。アイドルだって水着写真集出したりするわけだし。水着写真集はどう考えたってセクシャルな部分を売りにしてるよね?全裸になったり、男との絡みはないかもしれないけど、それは結局セッ〇スを売りにする濃度の差でしかないのでは。

ちょっと思ったのは、この記事に出てくるAV女優は現代の花魁みてぇだな、と。
つまり、性は、売る。で、芸能もできる。どっちも一流で、大人気。
それはもう、花魁ってことでいいんじゃないでしょうか。

まぁ俺も花魁についてそんなに詳しくはないですけど、花街の、遊女で、芸事について一流で、遊女ではあるけど大金持ちの旦那衆とかでも簡単に抱けるわけじゃない、みたいなね。まぁでも、一流の花魁であったとしても、親に売られて花魁になった、みたいなことだったみたいだからなぁ。親が応援する、ってのは異常事態だ、って気はするね。

応援している、というよりは、どうしてもそういう生き方がしたいというのならそれは認める、という感じなのかもしれないですけどね。業界に入る前なら止めたかもしれないけど、もう飛び込んじゃってて、ある程度実績もあり、お世話になっている人もいるような状態なら、認めざるを得ないというか・・・

日本人のメンタリティとしても、自分の子どもが裸を撮影されてるのは嫌だけど、無理矢理脱がされてる訳でもなく、本人も望んだ仕事で、ここで辞めたら周りの人、お世話になった人に迷惑をかける、となったら、応援ってか認める親も多い、ような気はするな。想像ですが。


で、ね。


もう一つ思うのは、AV業界、芸能界、みたいな分け方をして、AV業界の地位が上がってきた、みたいな書き方をしてますが、芸能界だってもともとそんなスンバラシイ業界か?と思うんですね。

AV女優の地位が上がってきたとかそーゆーことではなくて、もともと芸能界がAV業界に比べてそんな上等なモンだと思うのが間違いのような気がするんだけど・・・

こういっちゃなんですけど、例えばアイドルだって、子どもがなりたいって言ったら普通の親なら止める仕事、だよね。
アイドルに限らず、例えば役者でもいいし、お笑いでもなんでもいいんだけど、芸能界に入りたい!なんて子どもが言いだしたらまともな親なら止めようとするでしょ。ま、今は昔ほどじゃないだろうけど。就職がものすごく安定してるかったらそんなでもないし。それでもいいぞ!やれやれ!と手放しで応援する親はちょっと変わった親の部類に入るでしょう。

その意味で言えば、芸能界もAV業界も大して違わないんじゃないかと思うわけです。なんというか、普通の仕事じゃない、という意味ではね。

なんとなくこう、テレビという大きな権威があったもんだから、そこで活躍する芸能人は華やかで、裸を見せててテレビに出ないAV女優はその下、みたいなかんじがあるのかも知れないですけど、芸能界だって売れる人はほんの一握りだし、売れてない人は枕営業を強要されたり、売れてない人ってくくったらやってること大差ないんじゃないか?

まー、テレビ界はまだまだ力持ってるとは思いますけど、もともと芸能界って怪しい業界なんだし、AV業界が力をつけてきているのは間違いないかもしれないけど、AV業界が芸能界みたいに華やかになってきた!という比較はちょっと違うんじゃぁねーのか、という気は、するんですよね~。


AV女優が芸能人みたいになって、

まぁスターが出て業界が大きくなれば健全化にもつながるとは思うんだけど、

別にもともと芸能界だって怪しい業界だし、

売れない人は枕営業とかさせられてるなんて話もあるし、

AV女優がアイドルみたいになり、親からも認められるようになったことを地位が上がったと考えるのはちと短絡的な気がする。


と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

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アイドルファンが、アイドルが売れると遠い存在になったなんて言いますが、AV女優ファンはそれはそれで葛藤がありそうだな・・・という、想像です、想像。あくまでも(笑)

もしこのブログ、ってか4コマに興味持ってもらえたら、ぜひ4コマのキャラのプロフィール見てみてください!
http://yurinti.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305355943-1
あの、彼らを好きになってもらえるととてもうれしいです。

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制度のための制度じゃなくて、動物としての機能に合わせてもいいんじゃないか? [ニュース読んでみて]

2016年12月28日のデイリー新潮、「女性はなぜエクスタシーで叫ぶのか 『自由』になった古舘伊知郎さんが目を惹きつけられた記述は?」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・人間は類人猿として考えると「一夫一妻」のテナガザルや「一夫多妻」のゴリラよりも、「乱婚」のボノボに近い
・現在多くの国で採用されている「一夫一妻」制は社会的な制度に過ぎない
・旧石器時代はそこらを肉食獣が歩いていたのに、女性がエクスタシーに達する時に声を出すのは危険で、不自然
・しかし「乱婚」の動物として考えると、声を出すのは周囲の男性を興奮させ、多くの個体の精子を競争させるため、という説明ができる


わははははは。


最初の印象としては、なるほどなぁ、と。その理由であれば、確かに声を出すことに必然性があるかもしれないなぁ、なんて。
もう一つの印象としては、なんつーのかな、新しい家庭の、家族の形みたいなことのヒントになるんじゃないか、なんて。

つまり、一夫一妻制の結婚というものがもう、終わってるんじゃないかということはもういろんなとこで言われてるじゃないですか。日本人の未婚率は上がってるし、結婚しないという男女も増えてるし、結果日本の人口はみるみる減ってるし。

俺は社会学者とかではないので正確には分かりませんけど、ま、昔は一夫一妻のメリットが大きかったんでしょう。そのメリットが大きいから、社会的に結婚・・・つまり男1、女1というつがいを作る・・・ことが奨励され、まぁ、それに合わせていろいろ社会的なシステムが作られていったんでしょう。

が、今一夫一妻制にそこまでのメリットがない、と。結婚はコスパが悪い、なんて意見もあるそうですが、その意見はメリットが無いという意見の最たるものでしょう。

そう考えるとさ、結婚結婚と、旧来のシステムにしがみついているばかりではダメで、新しいシステムを考えなければいけないんじゃいけないんじゃないかと思うんです。

別にさぁ、現代は家を、名前を残さなきゃいけないみたいなプレッシャーがある家なんてほぼないし、血統を残さなきゃ、なんて人あんまりいないでしょ。結婚とは家と家の結びつき、とかさぁ。いないよ、そんなん。超・上流階級の人とかなら知らんけども。


それで言ったら、もう、乱婚でいいんじゃないかって気はするな。もともとの生物としての人間の本能に従って、システムを組みなおした方がいいんじゃないか。


だからまぁ、分かんないですけど、例えばテラスハウスみたく、男女何人かで一つの家をシェアしている人たちがいます、と。その家に住んでる人は、全員婚姻関係。例えば男4人に女4人とかで住んでたとしたら、その8人が全員婚姻関係。男Aと女Aが夫婦、みたいなことではなく。
なんで、今日は男Aと女Aがセックスをしました、明日は男Aと女Bがセッ〇スをしました、みたいなことがあったとしても、不貞行為ではない。だって全員が婚姻関係なんだもの。で、そこで生まれた子どもはその家の子ども。どのカップルの子ども、とかではなく。


・・・みたいな。


・・・まぁ、言ってて相当無理があるな、という、自覚はあります(笑)


メリットとしちゃぁ、まぁ子育てがしやすくなったりはするんじゃないかなぁ。順番で誰かが家にいるような形にすれば、一人で面倒見なくても誰かが面倒みてくれる、とかさ。
ある程度経済的なメリットもあるでしょう、病気で倒れたりした時も、自分以外に働き手が何人もいるわけだし。
賑やかなのが好きな人は、帰ったらたくさん人がいるのは嬉しいんじゃない?
セッ〇スの面からしても、男女お互いに違うパートナーと楽しんでも文句は言われないわけだし(笑)

デメリットというか、問題はいくらでも思いつくでしょう、戸籍をどうするのかとか、子どもの権利はどうなるのかとか、離婚・・・というか、その「家」を出ていきたくなったらどうすんだ、とか・・・
とは言え、その辺のことって結局現行の制度とぶつかる、ってだけのことで。人間という動物の本能に反しているのかどうかは、分かんないよなぁ、とも思うわけです。


結婚という制度ではもう社会が回らなくなってきていて、
結局結婚なんか人間が社会生活を営む上で作ってきた制度に過ぎないわけで、
もうなんかいろいろ限界にきてんじゃねーの?
そう考えたときに、結婚とかにかわる新しい制度って、
人間の本能というか、動物としての本能に沿った制度にすべきで、
そうなるとこの乱婚の動物だってのは結構ヒントになるんじゃないかなぁ。

と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

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乗蓮寺と、それをたたいている人と、どっちが「差別的」「不寛容」か?という話。 [ニュース読んでみて]

明けましておめでとうございます。
年末年始は相当堕落しましたが(笑)また頑張って更新していきますので、よろしくお願いします~(*^-^*)

1月5日のJ-Castニュース、「初詣『ベビーカー自粛』要請で大騒ぎ 『差別』批判へ寺側の意外な言い分」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・東京板橋区の乗蓮寺が、初詣の際に「ベビーカー自粛のお願い」を出した
・ツイッターから写真が拡散し、「赤ちゃんがかわいそうだから自粛は当然」「赤ちゃんを持つ親に不親切な寺だ」と大論争に
・擁護論もあるものの、大半は「差別だ」「肩身の狭い不寛容な社会だ」といった批判
・乗蓮寺は、去年までベビーカー優先の参拝システムを取っていたが、マナーの悪い参拝客によってもめ事やけが人が出たために、警察の要請もあってベビーカー自粛としていた


ふーん。


ま、俺が思ったのは、乗蓮寺と、脊髄反射のように批判している人と、どっちが差別的で不寛容かな、ということで。

あの、なんつーのかな、寛容な社会って何?と思うんですよね、俺。

もちろん理想として、全ての人が平等に、同じことができて、同じ感動を味わえる、みたいなことがあるのは分かります。し、まぁバリアフリーとかでそういうことを目指すことはとても重要なことだとも思います。例えばベビーカーだったり、車いすの人が道を通りやすいように段差じゃなくてスロープをつける、とかね。


ただ、それはあくまでも理想であって。


どちらかというと、システムとか仕組みどうこうでなく、相手というか、他者のことを「思いやる」ことの方が重要なんじゃないかと思うわけです。

例えば、混雑した駅の中に、ベビーカーを押す親がいるとしましょう。
ま、この先バリアフリーがどんどん進み、駅自体がベビーカーが通りやすい構造になったとしても、ベビーカーを押した親が、その他のベビーカーを押していない人々と全く同じような動きができるようにはならないでしょうよ。
やっぱり動きは鈍いし、小回りは効かないし、ってのはそれはそうでしょう。その状態ってのは、ものすごくいやな言い方をすれば、「迷惑」なわけです。

そっから先重要なのは、そのベビーカーを押してる親を「迷惑」と思うか、「ベビーカー押して大変だな」とか、「こんな混んでいる時間帯にわざわざベビーカーで駅に来るなんて、よほどの事情があるに違いない」とか、「この先の階段は上がるのが大変だから手伝ってあげよう」とか、そーゆーことが考えられるかどうか、大変な思いしている人を思いやれるかどうか、でしょう。どーしたってベビーカー押してる親と、そうでない人との機動力の差が0にはならないんだからさ。


で、ね。


つまり何が言いたいかというと、今回乗蓮寺を批判した人たちは、思いやってますか?ってことなんです。
確かに乗蓮寺側が出した看板についても、ちょっと配慮が足りなかったかもしれない。もう少しベビーカーを利用した迷惑な参拝客であったり、それによってけがをしそうになった人が出たとか書けばね、もしかするとこうした騒ぎにならなかったかもしれませんよ。そういう意味では、乗蓮寺側も思いやりが足りない部分があったのかもしれません。

が、明らかに批判している人たちの方が、思いやりが足りないよね、と思うわけです。
その、今回の騒動で批判している人たちが、

・なんでわざわざこんな看板を出したのか?
・こんな叩かれるような看板を出したのは、何かよほどの事情があるのではないか?
・お寺が出したということは何か深い意味があるんだろうか?
とかさ。例えばですけどね。
そーゆー風に、思いやりましたか、という話。

あるいは、乗蓮寺がベビーカーでの参拝を援助していたのを知っている人であれば、
・去年までベビーカー優先してたのに、どうしたんだろう?
・何か事故でもあったのかな?
とか、その辺まで思ったかもしれない。
そーゆー思いが、毛の先ほどでもありましたか、ということなんです。

思いやりを持って見た結果、それでもやっぱり気に食わないっつーんならそれはまぁそれですけど。でもまぁ、思ってないでしょ、反射的に批判してるんだろうなぁ、って気はするね。

今回の乗蓮寺はベビーカーに乗った参拝を援助してて、でも援助しきれなくなって自粛をお願いして、っていうお寺ですけど。
もちろんベビーカーを押している人も、そうでない人も気持ちよく参拝できるのが理想ではありますけど、それができなかったのは単にシステムや仕組みの限界であって、不寛容とは違うと思うんだよなぁ。
逆にあえてベビーカーや車いすの人をはじき出すようなシステムがあったとすれば、それは不寛容だと思いますけど。
不寛容って意味では、乗蓮寺の事情も考えず、脊髄反射的に叩きまくるような「思いやりの無さ」が「不寛容」って言うんじゃない?と思うんです。


ちなみに、ですが。


記事に出てきたような、ベビーカー参拝を援助するような乗蓮寺の思いやりを逆手にとって何人もいっぺんに参拝したり、他の参拝客に迷惑をかけたりするような連中は。

ま、こちらもこちらで相当思いやりがないですね~。
そう考えると、今回乗蓮寺をたたいている人と、ベビーカーで迷惑な参拝をしている人ってのは、ベクトルは多少違えど、似た者同士なんじゃないかな~、って気もしますな(笑)


もちろんバリアフリー等々のシステムや仕組みが充実していくのを批判する要素はないけども、それによって100%の人が100%の満足を得るってのはどう考えても不可能でしょう。
システムや仕組みが整っていない社会が「差別的」「不寛容」なのではなく、「思いやり」がない社会が「差別的」「不寛容」なのではないか。
そう考えると、今回「乗蓮寺の事情も考えずに騒いで、叩きまくってる連中」からは、まぁ相当「思いやり」を感じない。
ってことは、「乗蓮寺の事情も考えずに騒いで、叩きまくってる連中」こそが、「差別的」で「不寛容」なんじゃないか。ついでに、「乗蓮寺の厚意を逆手に取った迷惑な参拝客」も「思いやり」を感じないけど(笑)
と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

comic1.png

久しぶりの、結構ストレートなダークなちい(笑)
キャラクター紹介みてもらえればわかりますが、もともとこーゆー子です(笑)

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「クリぼっち」が定着することが少子化の原因ってのは、あると思うなぁ [ニュース読んでみて]

12月25日のヤフーニュース個人、「なぜ『クリぼっち』という言葉まで作って、クリスマス商戦を盛り上げようとするのか?」という記事です。

記事を無理にまとめるとこんな感じ。
・今年はデパートや百貨店が、「クリぼっち」向けの商品を充実させている。
・バレンタインやクリスマスの、スリル感やドキドキ感は減少している
・人間は、「クリスマスまでに恋人が欲しい」等の期限やプレッシャーがないと、なかなか行動しない
・「クリぼっち」が定着していけば、若者から肉食的な感性が失われ、少子化が進んでいくことだろう


わはははははは。


いや、それはそうかもなぁ、と思ったな。つまり、クリスマスは恋人と過ごす、という部分の意味合いが失われていくと、そこまでに恋人を作る!と思う男女が減っていく、ということについて。
大体が、他のことでもそうじゃないですか。期限切られてない仕事は後回しにしたりとか、さ。クリスマスは恋人作れ!というプレッシャーは、もちろん企業が儲けるために作り出した価値観かもしれないけど、結果的に少子化対策にもなっていた、ということか・・・

まー、結婚が絶対の価値ではないけれども、少子化対策ってことを考えたら、ねぇ。

例えばそれは、昔であれば社会からのプレッシャー、何歳になったら結婚しなきゃとか、結婚できなければ行き遅れと世間から責められるとかさ。
分かんないけど、国によっちゃ宗教的な縛りで結婚のプレッシャーがあったり、もするんじゃないかな?
結婚しろっつープレッシャーがあるのがいいか悪いかの話はまた別ですよ。少子化対策のシステムとして考えたときに、ということです。


んで、ね。


個人の幸せは別として、国とか社会としては、結婚して、子ども作ってくれた方が人口も増えて発展していくのはそれはそうなんだから、なんらかのプレッシャーをかけて結婚させようとするんだと思うんですね。
プレッシャーとは具体的には、社会からのプレッシャーとか、宗教的な、とか。それにより結婚を促されることがあった、わけでしょう。
んで、近代日本ではそれらに並んで企業が仕掛けるバレンタインとか、クリスマスとかの、各種イベントがあった、と。

それがまぁ、結果的には結婚・出産を促し、社会を発展させるのに寄与してきた。ところがそーゆープレッシャーが力を失ってきて。結果、プレッシャーが無くなって行動を起こす若者が減り、少子化にもつながる、ってことなんじゃないですかね。

もちろん少子化の原因がこれだけってことはないでしょうけどね。原因の一部としてはありうる、と思うなぁ。


で、さらに。


逆に言うと、今後景気が良くなったとしても、よっぽどうまくやらないと少子化に歯止めがかかんないんじゃないか、って気もするんだよな。

つまり、

この年にまで結婚しないと行き遅れ、という社会のプレッシャーが力を失い。

宗教的なプレッシャーはまぁ、日本ではもともと薄いかな。

さらに、企業がバレンタインやクリスマスなんかの仕掛ける各種イベントも、一人でも楽しめるようになったりして。

そんな状態で景気が良くなったところで、個人が個人の楽しみを追求するだけで、別に結婚・出産が劇的に増えるってことはないんじゃないだろうか。
まぁ、不景気な状態よりも増えるとは思いますけどね。日本政府が目指す水準に行くんだろうか。


要するに、今回の記事を見て、
なんとなくこう、少子化の原因は不景気で、なんて思ってたけれど、
いろんな意味でプレッシャーのかからない社会になっている、ということも原因としてあって、
不景気が解消されたとしても、
そのプレッシャーも復活させないと少子化って解消されないんじゃないだろうか。

プレッシャーの復活って、昔からある社会的、文化的なプレッシャーが力を失ってるんだから、
相当うまいこと社会をプロデュースできないと、
プレッシャーはきっと復活しないよなぁ。

どうやら、現代日本における少子化の解決って、相当大変そうだなぁ。

と、思った、という話です。

はーぁ、寝よ。

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ヌーハラ騒ぎってつまり、炎上だよね? [ニュース読んでみて]

2016年11月29日のITmedia online、「『ヌーハラ』報道に目くじらを立てる理由」という記事です。


元記事を無理矢理にまとめるとこんな感じ。


・少し前に日本人が麺類をすする音を外国人が不快だと感じるという「ヌーハラ」が注目を集めた
・ヌーハラ騒動の発端は、「戦争法廃止の国民連合政府応援隊」というツイッターアカウントで、外国人観光客からクレームがきたとか、海外の新聞で指摘されたとかではない
・単なる「風説」を、「議論」にまで煽り立てるマスコミの軽率さに背筋が寒くなる。
・海外でも「風説」による悲劇は多々おきているし、過去日本でも「風説」が原因で外国人が襲撃されたりする事件があった。




あ、そう・・・




いやー、ヌーハラ報道って、騒ぎになってる時からくだらねーくだらねーと思ってたけど、まさかここまでくだらねーとは思わなかったなぁ。
そりゃーテレビや新聞から離れるわね、若者は。そしてそれはとても、正しいということではないですか。


俺が思ったのはね、こんなもん、ネット上の「炎上」と何が違うんだろう、ってことで。


ネットの炎上の場合と、今回みたいにマスコミが作る風説、そのもとになるもの、なりやすいものはそれぞれ違うのかもしれないけど、起こっていることは同じじゃないか?これ。


つまり、炎上の場合は何か炎上のもとになるものがあり、それに対してものすごくたくさん否定的なコメントがついたり、炎上のもとになった書き込みをした人の家が特定されたりするわけでしょ。でも実際に書き込んでいる人の人数はものすごく少なかったりしますよね。で、大部分の人はしょーもね、と思いながら見てたりする。


マスコミの今回みたいな風説の場合でも、今回はヌーハラがもとになったわけですけど、否定的なコメントを著名人が出したりして、それを見たそば屋さんが外国人お断り、っていう張り紙をしたりするかもしれない。著名人は何回も掲示板に書き込みしたりはしないわけですけど、影響力って意味では何回も書き込みする人に劣るってこたないでしょ。で、俺を含めた大部分の人は、しょーもね、と思いながら見てたりする。




構造が一緒じゃん、と。
マスコミと、ネット上の暇人と、やってることが一緒じゃん、と。




そう考えると、「炎上商法」って言葉ができたのは最近かもしれないけど、「炎上商法」って昔からあったんだなぁ。
炎上して一般人が吊し上げ食らったりすると、ニュースとかで行き過ぎた正義がどうのこうのとか言いだしますが、どの口が言う、って感じですな(笑)


と、言うか、ネット上の暇人は、炎上騒ぎを起こすときは一応正義感から個人や企業をたたいたりするわけですけど、マスコミの場合は完全に金のためですからね。そう考えると、マスコミよりネット上の暇人の方がまだマシな気がする(笑)


ネットの炎上商法って、叩いてる人は儲かりませんからねぇ。芸能人とか、企業とか、叩かれてる側に注目が集まって、なんかいろいろお金が発生するわけですけど。
マスコミは炎上の材料自分で見つけてきて、叩くのも自分でやって、自分とこが儲かるわけでしょう。大きいメディアは強いですね~、やっぱり。




で、ね。




記事の中にもありましたが、狙ってこういう風説を起こす輩が現れたら、という心配がある、と。
確かに可能性はあるよなぁ、炎上商法だって嘘か誠か狙って炎上起こす人とか企業もいるらしいし。炎上芸人みたいな人だっているわけだし。


今回風説として広まったのは、ヌーハラなわけですけど、まぁしょうもないのはもちろんなんですけど、変な話しょーもな、で済む話なわけじゃないですか。
良く知りませんが、もしかするといやな思いをした外国人観光客はいたかもしれないけど、とりあえずそれほど大きい事件は起きてない、でしょ。




ってことはつまり、今回の騒ぎはマスコミが「ヌーハラ」という、暴動とか襲撃事件が起こらないような軽めのネタを使って、炎上(風説)騒ぎを起こし、ちょっとした小遣い稼ぎをした、という考え方はどうでしょう。




何が言いたいかってーと、今回の記事の中で著者が心配していた、日本のマスコミはウブで、元ネタがいい加減なものでも煽り立てて議論にしちゃう、ということに関して。
いやいや、今回マスコミはちょっと軽めの炎上騒ぎで小遣い稼ぎをしただけで、そんな大きいことを煽ることはしないんじゃないか?とも、ちょっと思う、ってことです。


公共の電波を使って炎上騒ぎ起こして小遣い稼ぎなんてけしからん、って話は別の話としてもちろんあると思いますけどね。ちゃんと全部わかったうえで、あんまり影響のない内容で、炎上騒ぎを起こしていたのではないか、と。




いやー、そんなことないのかなー。日本のマスコミは、ウブで、アホで、金の亡者なのかな~。




でもさ、例えば炎上芸人とか言われる人でも、炎上騒ぎがあんまり大きくなりすぎて自分の仕事がなくなっちゃ困るから、騒ぎになりつつ、でも仕事はなくならない、という絶妙なところで炎上を起こすわけですよね。まぁ、たまに加減を間違えて仕事なくなっちゃう人はいますけど。


それで行くと、今回マスコミが何にも考えずに煽って議論にしてるんだとしたらさ、やってることとか、考えてることが炎上芸人以下ってことですよ?


炎上芸人なら、もちろん自分の仕事がなくならないようにとか、極力誰かを傷つけないようにとか、考えてるはずですよね。
マスコミの役割と芸人の役割は違うから、全く同じ考え方で動くのは無理だろうけど、まーせめて炎上芸人より考えてることの総量は多くあってほしいよな~。誰かを傷つけないとか、さ。


・・・




・・・・・・・・・




・・・・・・・・・・・・・・・・・




・・・無理かな~、マスコミのが何にも考えてないかな~!


極論、マスコミって戦争になったって儲かるもんな~!


多分マスコミはどうでもいいんだろうな、心底。風説によりどんな被害が起ころうが、どんな影響が発生しようが。
炎上すればするほどもうかるんなら、そりゃどんどん燃料投下するわ~!




「ヌーハラ」なんかどうでもいいと思ってたけど、
これってつまり、マスコミが起こした「炎上」じゃない?
マスコミが炎上芸人以下ってこたないだろうから、
記事の著者が心配することは起こらないんじゃないかな~、と思ったけど、
やっぱり起こりそうな気がするわ~!
むしろ炎上芸人の方が良心的だわ~!


と、思った、という話です。


結局受け取る側が感性を磨かないとしょうがないんですな・・・


はーぁ、寝よ。


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AIと人間を分けるのは、心。あと、文章を「読める」かどうか。 [ニュース読んでみて]

2016年11月14日のyahoo個人、「AI研究者が問う ロボットは文章が読めない では子どもたちは『読めて』いるのか?」という記事です。


無理に記事をまとめるとこんな感じ。


・人工知能(AI)を東大に入れようという研究チームが、子どもたちの読解力テストに着手した
・現段階のAIでは文章を理解することはほぼ不可能、センター試験の国語の偏差値は49.7(その他の教科の平均は57.1)
・しかし、文章を理解できないAIよりも点数の低い子どもは存在する。そもそもそういった子どもは文章が「読めて」いないのでは?
・文章が「読めない」と、AIに職を奪われたり、失業が長期化する危険もある。原因の究明と対策が必要だ。




いやー。




これはね、すごーく面白いと思ったな、俺。つまり、今後AIに職を奪われないためにどうするか、ということに加えて、今いろいろ世の中おかしくなってきてる原因もここら辺にあるんじゃないかと思っちゃった、なぁ。いや、素人考えですけどね。


つまり、テストの点がたくさん取れる、ということであったりとか、受験のためのテクニカルな部分を突き詰めていった勉強の仕方をして、出来上がるのはAIだった、ということでしょう。
ま、AIは言い過ぎか。とはいえ少なくとも今後、AIにとってかわられるタイプの人間、ということになるんだろうな。


元の記事の中には、AIが得意な問題、不得意な問題というのがあって、それを比べてみるととても面白いです。なるほど、こういうのが苦手なのね、と。
「読む」ということについて正確な定義というのはわかりませんけど、問題を俺みたいな素人目から見ても、論理的な説明はできないまでも違いは明らかにわかったし、なるほどな、と思う。




文章が「読める」ようになるにはどうすればいいのかさっぱりわからないなんて書いてありましたが、AIの場合は俺は知りませんけど、人間の場合は、それは明らかに「本をたくさん読む」ことでしょう。いい本をたくさんね。本でなくても映画とかテレビとかゲームとかで、たくさんのいい物語に触れるとか、そーゆーことなんだろうな。あるいはいろんな人と触れ合って、いろんな価値観に触れる、とかさ。




元記事の中に、高学歴だと文章が「読める」率は高かった、なんて書いてありましたが、高学歴だから、勉強できるから「読める」というよりは、家庭環境としてたくさん本を読んだりとか、質のいい情報にたくさん触れているかどうかじゃないかなぁ。今ってどんどん格差が広がってますから、貧困家庭とかだとスマホは与えても本は読まないから、「読めない」とか、そういうことなのでは。
逆に言うと、高学歴でも社会に出ると役に立たないとか、高学歴なのに貧困、というのはその辺に問題があるのではないでしょうか。学校の勉強がものすごくできたとしても、文章を「読めない」から、AIにしかなれないので、だから仕事がなくなったりしてるんじゃない?


インターネットがなくて、国全体が貧しい時代だったら、そういう教育でよかったんだと思うんですよ。そういう教育ってつまり、AIをたくさん生み出す教育。
工場的な生産性をどんどん上げていって、ものをたくさん作ってたくさん消費していれば、国全体の景気が良くなる。そんな時代だったら、AIの数がたくさんあれば生産性は上がったでしょうからね。だから、学校教育とかもそういう方向性になったんじゃないですか?


だから俺この記事見て思ったのは、最近って若いのより年寄りの方がおかしいって話よくあるじゃないですか。道端でやたらキレまくってるのはおっさんとか年寄りの方が多い、とか。あれってつまりさ、キレまくってるジジイとかって、昔の教育の影響で、AI程度の頭しかないんじゃない?あの人らも、「読めない」んじゃない?とか思ったり。テスト受けさせたら、AIと同じところ間違えるんじゃなかろうか(笑)


今の若者はおとなしいとか、草食系とか言われますが、今の若者の子どものころは、漫画とかアニメとかもすごく質が上がって、良質な物語に触れる機会は昔より逆にあったんじゃないかな。だからどっちかというと「読める」人は年寄りよりは若者の方に多くて。でも物語に触れない人はとことん触れない、みたいなとこもあるから、「読めない」人もそれはそれでたくさんいるけどね、なんて。


記事の最後の方に、
「国民の少なからぬ人たちが、
矛盾していたり、センセーショナルなだけで中身のない発言の意味を吟味し、
その矛盾を見抜いたり、実現可能性や妥当性を評価できる読解力を身につけていなかったら、
世の中は大変なことになってしまうのではないか、と。」
と、書いてありましたが、今現在じゃん、それ、と(笑)AIをたくさん生み出す教育をした結果、世の中大変なことになり、AIにとってかわられる人も増え、格差社会が広がっている、と。う~ん、妙な説得力がある(笑)




んで。




こっからは余談っちゃ余談ですが、俺の印象としてはAIが文章を「読める」ようになることはない、気が、します。あくまでも俺の素人考えですが。


仮にAIが文章を読めるようになったとしましょう。で、そのAIが感動的な小説を読んだとします。ただ、AIだと、その小説が感動的なものだ、ということはわかるかもしれませんけど、その小説を読んで感動する、ってことがないと思うんですよね。AIには主体がないから。


人間なら、感動的な小説を読んだら感動するだろうし、場合によっては涙を流すかもしれない。人によっては、同じ小説を読んでも感動しないどころか、つまんないと感じる人もいるかもしれません。でもそれはその人の感じ方であって、つまんないと感じたのも間違いなくその人が感じたことで。


人間がたくさん本を読んだりすれば「読める」ようになる、という俺の理論が正しいと仮定します。でも、人間よりAIの方が、記録している小説とか、映画とかの数は圧倒的に多いんだと思うんですね。であれば、AIの方が「読める」ようになってないとおかしい。それでも人間の方が「読める」ということは、違いはその、感動的な小説を読んだ時に感動したり、つまんねーと思ったりする主体があるかないか、ではないかと思うんですね。
その主体というのは、なんですかね。心、って言葉が一番ぴったりくるのかな。


俺がAIが「読める」ことはないんじゃないかというのはここで。つまりAIには心がないので、文章を読めるようにならない。ってのはどうでしょう。


逆に言えば、小説を読んだときに構成がよくできてるかとかばっかりに気を取られないで、その小説を読んで自分がどう思ったか、っていうところをしっかり感じて、心を育てておかないと、いずれAIにとってかわられてしまうんじゃないかなぁ。自分がどう感じたかではなく、構成がどうとか、この展開は〇〇に似ているとか、このシーンはナントカのパクリだ、とかを気にするのは、考えてみるとなんだかとってもAI的ですよね(笑)


例えばちょっとしたことでブチ切れて怒鳴り散らしたりする人らのことを、「心が貧しい」とか「心無い」なんて言い方をしますが、心があるかないかで人間かAIかを分けると考えると、あいつらAIだったんだ、と思いますな。日本語って味があるなぁ、すげぇ(笑)




AIはどうか知らんけど、
人間が「読める」ようになるには本をたくさん読んだりすることが必要なんじゃないか。
人間が読んでいる本の量は、
AIが記憶している本の量より少ないだろうけど、
それでも人間が「読める」のは、人間が心を持っているからではないか。
本とかをたくさん読み、心を育てておかないと、いずれAIにとってかわられる人間になってしまう気がする。
あと、「すぐキレる年寄り」とか、「矛盾していたり、センセーショナルなだけで中身のない発言の意味を吟味し、その矛盾を見抜いたり、実現可能性や妥当性を評価できる読解力を身につけていない人」は、あいつらAI程度なんじゃね?


と、思った、という話です。


はーぁ、寝よ。

comic1.png

ストーカー、ダメ、絶対。

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